ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その142001年9月22日その152001年10月21日その162001年12月10日

その14
ニューヨークの惨事 (私は無事です)

先週アメリカで大変な事件がおきました。ワールドトレードセンター爆破事件。
一瞬にしてあの巨大ビルがなくなるなんて...。
事件当日、マンハッタン市内の風景は私が今までに見たことのない風景でした。
すでに封鎖されている道を幅いっぱいに人々が歩いて家路に着く姿。
私には異様な光景に映りました。南の方角を見てみると真っ黒な大量の煙が
空いっぱい。
その時は、一体何が起きたのかきっと誰にもわかってなかったように思います。

事件直後より、日本からのみならず世界中の多くの方々からご連絡を頂きまして
ありがとうございました。

幸い私はミッドタウンに住んでおり、今回の大惨事に直接巻き込まれることはありま
せんでした。知り合い、生徒さん達の無事を確認するまでには数日が必要でした。
次の日から電話mail共に全く使えなくなってしまい、アメリカ国内、日本から何度も
電話をかけて下さっていた方々とやっと連絡がついたのは事件後半日以上経ってから
でした。

ご存知の通りあのビルには多くの日本の企業も入っており、それらの企業に現地採用
(日本人でアメリカにある日本の企業で職についている方々)で勤務する友人の話で
は「とにかく逃げ走った!良く覚えていない.....」と生々しい話を泣きながら話し
てくれました。
ある企業では、事件後1週間経った現在でも数十人の社員の安否が確認されていない
ようです。

その企業に勤務する友人や日本からのnewsでも、多くの未確認者がいると発表されて
いましたが、その内訳として現地採用者がその大半を占めているにも関わらず、どう
いう訳だか
日本語放送では、日本からの駐在者のみの安否が写真付きで放送されており、現地採
用者に関しての情報が全くなかった事が不思議でなりません。
少なくともどのアメリカのTVでも、その様な放送はしていませんでした。

これに関して、それ以上私個人の考えを下手な文章で書く続ける事は、このページと
の関係性がなくなるのでやめます。が、一言だけ。
これが日本。非常に情けなく、本当に頼りない......。
その様に感じているのは、少なくとも私のまわりだけでも数十人はいと言う事だけは、
どうしてもここに書きたかった。
そしてそう思っている自分も日本人だと言う事。なんだか溜息が出ます。

亡くなられた方々のご冥福お祈りします。

ニューヨーク市長のジュリアーニ氏は、市民は一日でも早く通常の生活を送るように
とのメッセージを発表しています。

さて話を変えましょう。

今年もまた恒例のNew York Metsでのアジアナイトに13名で参加しました。
これはNYシェアースタジアムが毎年行っているもの。沢井琴アカデミーがこれに参加
するのは今回で3度目です。今年はインド、中国、日本がアジア代表として参加しま
した。
演奏は各国約5分。ゲーム前のお客さんが入りきっていない時間帯の演奏でしたので、
本当のところ演奏者にとっては物足りなさを感じない訳ではでありませんでしたが、
それでも我らはとにかく楽しくて仕方がない。

チャンスがあれば新庄選手と控え室でお目にかかれるかもしれないし。なんて実は私
も多くの生徒さんそろって全然野球わからない。わたくし新聞記者の質問にしどろも
どろ。後ろで彼が手に油汗...。ちょっとは野球について勉強してくるべきだったか!
残念ながら新庄選手は観客席からしか見れなかったがそれでも充分?と、うちうちの
噂も。

今年はその時の演奏の映像がアメリカ国内の日本語放送と日本のBS、各news等でほん
の2-3秒ですが流れたらしいのですが、その反応の凄いこと。
次の日は、残念ながら殆どの出演者がnewsを見ていなかったのですが、演奏者の所に
来るは来るはmailの数。たった2-3秒だったのに。私の所に送られて来たmailだけで
も30通以上。みんなよく見てるな!って驚き。

NEW YORK METSにお勤めで、このイベントのお世話をしてくれたブライアンさん!
決して全員がぴちぴち若いとは言えないけど(誰が平均年齢あげてるの!)
可愛らしい浴衣に身を包んだ13人の女性から
「Thank you (^_^)また来年も来ますから、宜しく御願いしま〜す!」
といわれたら”NO”とは言えないしょ?どう??



今年4月にとても素敵な日本風Tea Roomがブルックリンにオープンしました。
経営者は日本人のご夫婦でご主人は本来建築家でいらっしゃる事もあり、ご自分でお
店を作られたとお聞きしてびっくり。設計したと言う意味かと思って話を聞いていた
らなんと、実際に柱を買って来て、金槌で壁を打ったのも、天井を作ったのもすべて
ご主人!こうなれば建築家+大工さんですね。きっと手先が器用なんでしょう。とて
も自分で建てたとは思えない素晴らしいお店です。もしかしたら、この様な素敵な日
本風のお店は今のところマンハッタンにはないのではないでしょうか。

このお店の近所に住むアメリカ人の友人が、お店のオープニングで尺八を演奏した事
を新聞の記事で知り、早速私も連絡を取らないてはないと思い電話を入れたところ、
丁度琴演奏者を探していた所だったので、スムーズに演奏会開催に向けての話が進み
ました。
どんな時でも、こんな感じで1発で話がまとまるといいのにな〜なんて心の中で思い
ながら。


演奏は夕方5時と8時からの2回。それぞれ夕食が先に振る舞われ、その後に演奏が始
まります。2回の公演共お客様は日本の新聞記者を除いて外国人ばかり。
アジアに興味がある方々が多く、女性のお客さんの中には洋服の上に着物の羽織をは
おっているかなりのお洒落さんから、(これがまた外国の方が着ると妙にさまになる
んですよね)さりげなく扇子を持ち歩いている方など様々でした。
写真に少し写っていますが、とてもラフな感じで来ていらっしゃるおじさまもいたり
で、非常に和やかな雰囲気の中での演奏でした。
決まってこの様なコンサートでは、少し酒落たお話を交えながらの演奏が最近世の常
になってきていますが、以前にもお話したように今回も私には容易なことではありま
せんでした!

前回のオーケルトラの時のような地獄の緊張から逃れる為に、事前に話すことをまと
めておき、情けないのですが下書きを見ながら話をする事で「ぜったいに大丈夫!」
と自分に暗示をかけたりして。
大きな文字でプリントアウトしたにも関わらず目が何度も霞そうになって....。
う〜〜ん!まずは笑顔で最後までがんばりました!!
何度もくどいのですが、人前で話をするのって簡単には慣れないですよね。
みなさんもそう思いませんか?



9月に予定していましたバレイダンスと箏曲「みだれ」の公演は、残念ながら公演会
場が
ワールドトレードセンターにほど近かった為、未だに通行規制が行われおり、住人以
外入れませんし、おまけに劇場の電気関係が使えず、復旧までには少なくとも約2ヶ
月が必要となり、来春に延期が決定しました。

ピータ−ボール氏は現在NYCBのTOPダンサーであり、私もこの公演を心待にしていた
のでちょっと残念ですが、まあ楽しみは後まで取っておきます。





その152001年10月21日

クラシックバレーとの共演「みだれ」

一連のテロ事件で延期を余儀なくされていたニューヨークシティバレーのピーターボー
ルさんとの公演、事件後より5日間の公演可能な場所を関係者全員が心当たりを当たっ
ていたところ、振り付け師の必死の想いが通じたのか、舞台に関して多少の妥協はあっ
たようですが、まさに奇跡的に使える会場が見つかり、来年にしか出来ないと誰もが
思っていた公演が急遽行われることになりました。

とにかく会場が見つかり一同大喜びでしたが、とは言え日程が変更されたことで、関
係者全員、日程的には
かなり厳しいスケジュールの中でのパフォーマンス。
メインダンサーのピーター. ボールさんは東京に新しく出来た何とか?と言う有名な
ホール(聞いたけどが忘れちゃった!)に招かれこの本番の2週間前に1週間日本に滞
在、その後アメリカに戻ってきたかと思いきや、すぐに次の舞台の為ワシントンDCに
行っちゃった!って感じで、始めてゆっくり話をしたのは本番の前夜でした。

その晩は、彼とゆっくりと話をする時間もなく「取りあえず一緒にやってみましょう!
」と、とにかく公演実現が決まった事で嬉しくて仕方がない、振り付け師の Mr. リー
さん。
諸々の事情で、本番前夜になって始めて一緒に練習する時間がお互いに取れたのです。
これも、ある意味奇跡的?
私事ですが、実はこの舞台の前、日本から母と妹がこの騒ぎの中ニューヨークに来て
いて、毎日西へ東へと約1週間。彼らがここを発った次の日の朝、大学でのクラスの
為、朝と言うか夜というのか?3:30AMのBusでコネチカットへ。
そして夕方ニューヨークに戻りそのままリハに行くという状況。
1週間の観光の疲れと寝不足とで頭の中はパッパラパァ〜〜!!

ダンサーと充分な練習をしないままの状態で本番を迎えるのだ!と知った友人は、
「それはえらいことや!
マジで明日に間に合うのか??」と何故か周りが大騒ぎ。
前日にバタバタと練習する事など日常茶飯事なんじゃ!と笑って大きく余裕をぶちか
ます。
どれだけ騒ごうが、焦ろうが間に合うもあわんもない。
やるだけよ。

ちゃんと数カ月前から「みだれ」のCDは渡してあり、彼はそのCDで練習を重ねてきて
いるので、要は私がそのCDと同じように演奏出来れば良いだけのこと。
私も彼がCDの「みだれ」で踊っているvideoを何度も見ており、大体の音とダンスの
ポイントは押さえてあるから。なんちゃって〜!
軽く言ってのけたものの、本当の事を言えば、全曲通して出来る限りCDと同じテンポ
で演奏する事はとっても大変な事。
CDを録音した本人が仮に演奏したとしても、全く同じ演奏をすることは非常に難しい
筈。

皆さんもご経験があるかと思いますが、ダンスとの共演の場合はとにかくテンポが大
優先なんですよね。
音が少しくらい間違がっていても、ちっとばかりひき損ねても、とにかくテンポがま
とまっていればいいから!と彼らは何度も私に確認。確認。確認。
考え方を変えれば、それはなんとも有り難いリクエスト。
しかし、どうでも良いと言われてもそれじゃ〜わたし自身はなんだか困るよな?
それって、実は楽ちんのようなそうでもないような??

本番となり、ばっちりどうらんを塗って現れたピーターの凛々しい顔を見たとたん、
うわ〜絶対に楽しい舞台にしたいと言う想いがこみ上げてきました。
もしかしたら、始めて”どうらん”と言う物を塗った人を目の前で見た感動からかも
しれない...。


正直な所、初日に関してだけはやはり練習不足の為多少の不安はありましたが、2日
目からは頭の中でCDのテンポを整理し思い起こしながら演奏する事が出来、途中彼
の動きと音、フレーズのポイント点も確実に自分の目で確認する事が出来るほどの余
裕ができ、結果的に2人共非常に満足出来た公演だったと思います。

見に来ていた人達が口々に「さすが、彼にはオーラがあるよね」と言っていました。
ちと!自分の事が気になり恥を忍んで彼氏に「ね〜〜私にもオーラ見えた?それとも
やっぱり舞台でも庶民にしか見えない?どっち、ハッキリいってもいいよ!!」と詰
め寄り、一言「これからオーラが出るように頑張ろうね」って優しく言われた。「やっ
ぱり?.....。」負けるものか、泣くもんか!

演奏の後、ピーターが舞台後方にいる私を迎えに来てくれ、舞台前方に2人で出て行
きお辞儀をする事になっていたのですが、私は背が低く、いつの場合でもどの相手と
も見た目のつり合いが悪く、2人が一緒にいるっていうよりは、笑顔でどこかに連れ
さられる小学生の子供にしか見えないって。
なんだ!ちょう格好が悪いではないか。
もっと背大きくなりたかった。おとうさん、おかあさん見てますか?
誰かもう少し身長くれ〜〜!


以前から一度共演してみたかったクラシックバレイ。
この先に、またこの様な機会があれば是非挑戦してみたい。

来年1月に発行予定の「バレイ」という日本の雑誌に、今回の公演の記事を載せてい
ただけるそうです。
もし覚えていたら、最寄りの本屋で立ち読みでもしてみて下さいね。


その162001年12月10日

新しい挑戦?!
以前から事に触れて書いていましたが、もと鬼太鼓座(おんでこざ)のメンバーの一
人で、尺八の演奏者でもある、マルコリンハードんが設立した太鼓のグループ ”太
鼓座”のメンバーとして、約2年程前から太鼓やカネをちょっくら叩いています。

と、いっても、実は一度も正式にレッスンを受けた事はなく、始めはメンバーが足り
ないのから琴のついでに太鼓、もしくはカネを手伝っていたのが、いつのまにかしっ
かりのグループの準メンバーになっちゃった!


ひたすらマルコさんについて本番中にメロディーを覚え、恐ろしい事に今日に至りま
した.....。
一応私も音楽家の端くれ!
かなりの舞台数をこなすうちに、いやでもだいたいのメロディーはもう覚えたみたい。

あと私の最近のお仕事は太鼓+かけ声。
「いよ!」「さ。さ。さ。さ。さあ〜〜」基本的には思いつくまま適当に言っても良
いらしいのですが、出来る限り太鼓の人達の動きに合わせてかけられれば、更に上手
い具合に気合いが入るんですね。

昔から声はでかいので、実は誰よりも上手かけ声が出来るのかも知れないと密かに思っ
ていたのですが、
始めは何となくこっ恥ずかしく小声でボソボソ....。
簡単そうに見えてこの「かけ声」意外と難しい。
しかし、一度大声を発してしまったらもう恐い物ナシ。
マルコさんに最近は、少々やかましいと言われる時もあり。

一番始めに舞台に出ていって、出だしのイントロ太鼓を叩のが私ですが、その始めの
かけ声を何にするか考えるのが最近の楽しみになっている。
公演が何日も続きかなりお疲れ気味で、早く終ってnyに帰りたい時は、「ファイト1
発 オロナミンC」
「ちゃちゃとやって早く家に帰ろう!」とか、「ライトが暑い!いい汗流すわ」「若
くないから、無理のない演奏を!」とかなんとか。
お客さんが幸い日本語のわからない事を良いことになんも言って、私なりにメンバー
を和ましているつもり?

太鼓をを始めたばかりの時、中国系アメリカ人の彼の女が、体力的に大変な曲の演奏
の前にいつも「いぞ!」と自分自身にかけ声をかけるのすが、とっに何か返事をしてあげ
ないと彼女も気合いが入らないと思った私。
思わず「はい!」
どうにも笑いが止まらずみんなは困っていたみたい。

昨年カリフォルニアの太鼓の方達に、マルコと一緒に私もお琴の演奏で招待されたの
ですが、「まさよ、琴1曲だけの演奏では折角来た
のに可愛そう??」って事になり、「もう一人のカネの人と一緒に演奏したら?」っと言われ
「え!本当にいいの?」ってびびったふり。
本当はやりたいんじゃんねえ〜。

前日がリハだったのですが、総勢15名にもなる太鼓が本職の方ばかりに挟まれて、ちょ
っと上がり気味。
だって私1人がど、ど素人。


翌日本番となり、仰々しくカーテンが開いてもうびっくり。
何故かリハでは気づかなかった会場のサイズ。
なんと会場3000人はゆうに入るであろう立派なホール。
ほぼ満席ときた。

演奏が始まって、絶対にはみ出すこと(普通あるかけ声で全員が一緒に終わる事が多
い)だけはしたくないと手に汗握る。
あの時の妙な緊張感だけは、今でも忘れられないですね。

私の知り限り、アメリカで太鼓を叩いているのは女性が圧倒的に多い様です。
なので、あのくっそ重い太鼓を男女関係なく演奏者自身が運ばなければなりません。
誰かがやってくれると思っていたらおお違い。
自分で運ばなければ、いつまで経ってもお家に帰れない。
しかし女は結構力があるものです。
ある日、重い太鼓を運びながらふっと思い出した事がありました。

数年前、アメリカで日本からの男女数人による邦楽演奏会のお手伝いをしたときに、
女生徒が自分の17弦を
すぐ近くの場所まで運んでほしいと男子生徒に頼んでいたのです。
生憎、男の方が誰も近くにいなかった為、偶然近くにいた私が彼女の17弦をその場所
まで運んだのですが、周りにいた女の子達はびっくりして言葉もないようだった。
こっちがなんで??!!

いま女性は自分の楽器は自分で運ばないのかしら?と思ったが、それぞれの会の方針
があるから別にいいか!
でも私は自分の先生から習ったように、自分の楽器は自分で運ぶ事を心がけているつもり。
そして自分の生徒にもいつもそう言っている。
だってここアメリカには、手伝ってくださる楽器やさんもいないから、一から十まで
演奏者がやることが普通になっています。
そのせいかどうか、整体の先生に「石榑さんいい腕してるね〜〜!」
「いや〜、有り難うございます」
誉められたぜ!ってか?
悲しい〜〜〜。

ほっそりとした腕、タンクトップから出る折れそうな可愛らしい腕。
一度で良いから持ってみたかった。
後悔先に立たずだな〜。

冗談はさておき、太鼓を少し始めたことで自分にとってとても勉強になったことがあ
りました。
ここ数年、いつも人を教える立場だった自分。
久しぶりに人から物事を習う(太鼓習ってはないけど)機会があり、新しい事を習う
大変さ、仲間が教えてくれる時の真剣な熱意など、教える、習う両方の立場を経験し、
少しだけ初心に戻れた気がしました。

これで、少しは自分の生徒さんの気持ちがわかるかな?



p.s  今回の公演で時間が少し空いたので、ナイアガラの滝へ行ってきました。
残念ながら、パスポートを持っていかなかったのでカナダサイドへは行けませんでし
たが、アメリカ側からでも結構いいですね。
カナダ側からよりも迫力があるように思えました。
夜はライトアップされて幻想的な世界へは入り込んだ感じ。
皆さんも行かれるときは、是非アメリカサイドからも是非ご覧になってみて下さい。

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