ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
戻る
その172002年1月16日その182002年3月9日その192002年5月23日その202002年7月16日

今年のお正月

新年明けましておめでとうございます。
みなさん、お正月はいかがでしたか?

こちらは昨年の一連のテロ事件の影響からか、今年のお正月は全く演奏の依頼もなく
(予想はしていたものの、ちょっとがっくり...)、久しぶりに仕事のない静かなお正
月を迎えました。
それでも、大晦日には「自由の女神」の近くの、日本食レストランで夜10時から11時
迄の演奏の依頼がありました。
中国人オーナーの、鉄板焼がメインのお店。
鉄板焼きの鉄板に挟まれて?演奏を始めて間もなく、なんと1曲演奏する度にご丁寧
に拍手。
でも、そのうち曲の途中でも拍手?
「なんで?...」ちらっと頭を上げてみれば、その拍手は6人ほどのお客さん目の前で、
大きな海老を空中でまわし、椎茸を羽子板の羽の様に飛ばしている.......鉄板焼の
シェフに向かってだった。お見事!!
ちょっぴり、こっぱずかしさと悲しさが入り交じる瞬間でした。
もしかして、みなさんも同じような経験ありませんか?

一方、そのころマンハッタンのタイムズスクエアーでは、恒例の12時のカウントダウ
ンの行事が行われようとしていていました。
新年のカウントダウンが終わると、たった15〜20分の間にあそこにいた何万人という
人達が一気に動きだし、(あっと言う間にいなくなるらしい)そして、お酒を飲んで
とってもhappyになった人達が、あちらこちらに出没し、実はちょっと恐かったりす
るんですね。
なので、帰りに地下鉄で酔っぱらいと出会わないようにと、演奏が終わったら急いで
家に戻らないと...。焦る。


(いつもこの荷物を持ってマンハッタン歩きます)


それに、私も家のテレビでタイムズスクエアーのカウントダウン見たいし!
演奏後、急いで電車とタクシーを乗り継ぎ家路を急ぐ。
そして、あと少しでアパート。
とても、もの静かなそうな中国人のタクシーの運転手のおじちゃんが、一言
「Happy new yaer」
「ぐえ〜〜〜〜〜〜〜つ!]

タクシーの中で、2002年新年を迎えちまった。
それも中国人のおっちゃんと一緒に...タクシーの中で.....。
家に着いたら12時08分。
なんだか負けた気分。良くわからないがとにかく負けた気分。

元旦は食べて寝て、食べて寝て一日が終わった。
アメリカのほとんどの会社は、2日から仕事が始まります。
私も2日からお稽古でした。ちゃんちゃん。
妹いわく、日本は不景気で、あまりぱっとしないお正月だったとは言っていましたが、
やっぱり日本のお正月は最高でっしょ!


        *短い琴!

私が92年から琴と三味線の指導をしているウエスリアン大学は、アメリカでは民族音
楽学で有名な大学のひとつです。
そんな事もあり、音楽部の一室は世界各国のあらゆる楽器が保存されています。

この楽器庫の中に、以前からその「楽器」の存在は知っていたのですが、何故か一度
もカバーをめくってみたこともなかったのです。
楽器庫には、日本の琴と姿形がとても似ている中国の琴「グーチェン」や、韓国の琴
「カヤグム」も数面保存されており、それらの楽器の隣に置いてあった同じ形をした
それも、きっとどこか他の国の弦楽器の一つだろうと思い込んでいました。
だって、胴の長さが1メートルちょいしかなかったから。


(左側が短く切られていた琴)


昨年の3月に、糸締めをして貰う機会がありすべての楽器をとりまとめていた時、ふっ
と!その楽器に手が触れて「あれ?これって日本の琴?」
ゆたんをひらいてみれば、見たところソプラノ琴か?

こんな所に置きっぱなしにおくなんてなんともったいない!
ここで私が使わなければ、他に使う人はいないんだから勝手に使わせて貰いましょう!

大学からニューヨークへ持ち帰りました。
実はその時点では、本当にこの琴が使えるかどうかまだ半信半疑でしたが、この糸締
めのチャンスと逃すと永遠に使うことも出来ないから、取りあえずかかっていた絹糸
を外し、糸を新しくしました。

しかしその糸締めと同じ時期に、沢井一恵先生、比河流先生をニューヨークにお迎え
しての演奏会があり、毎日その準備に追われていたので、その後折角糸を新しくした
その琴の事を、なんと11月頃まですっかり忘れてしまっていました。

ある日、思いついたようにゆたんを外し、その琴をよく見てみると、それはどうもソ
プラノ琴ではなく、普通の琴を短く切ってもう一度作り直してあるようでした。
何じゃこりゃ?と思いながら、柱を立てて弾いてみると、意外にもそこそこの音が出
るじゃありませんか?
このニューヨークの狭い私の部屋に使わないで置いておくだけなんてばかばかしい話、
お稽古で使いましょっと。
それは立ててあると見るからに短いので、みんながなんだなんだと不思議に思うので
すが、立奏台の上で横たわっていると、意外に誰も短い事に気づかないんですよね。

楽器、立奏台、着物等を持って、マンハッタン内をバスや地下鉄を乗りついで演奏会
場まで移動するのはかなり、イヤ!とってもきつい。
(歳と共に厳しくなったと言った方がいいのかも?)
琴もたしかに重いけど、それより絹の着物は肩にずっしりと食い込む。
時として、その日の演奏で貰える予算があまりないときは、絶対にタクシーには乗る
ものか!と自分で決めたルール。必ず電車、バスを乗り継いで会場まで。訳もなく自
分で決めたルール。しかし最近はどうにも身体がついて行かずタクシーに乗る事が多
くなった。
うぅ〜〜〜〜ぅ。

先日、日本舞踊とのリハーサルで、早速この楽器を使ってみたのですが、練習が終わっ
ても、誰一人として琴が短いことに気がつかない。
ラッキーって感じでしたよ。
ほんの少し短いだけで、どれほど持ち運びが楽ちんなことか。
これなら、本番以外のリハは総てこれでいけるってね!

この楽器には子供の着物を潰して作ったゆたんがかかっていました。
もちろん、こんな小さい琴カバーは持っていないので、今現在持ち運びにはこれを使っ
ています。
移動途中、バスや電車中では、とても可愛らしい着物柄は外国人から注目の的。
近寄って来て「これって日本の物でしょ?とっても可愛いですね」っとやたらに話か
けてくる。
あんまり頻繁なのでいっその事、ゆたんに張り紙でもして「これは日本の着物生地、
中味は琴と言う楽器です!」とでも書いておこうかと思うくらいである。
これもまじめに考えていることなのですが、琴カバーに自分の演奏中の写真でも貼っ
て、人々の興味をひきつけるのもここ外国ならでは??
重いのにただ持って歩くだけでは疲れ損だし、歩くビルボード、なんて。

いつもみんなで「琴も絶対に折りたたみ式になるといいよね!」と話していたので、
この少し短いお琴を見つけたお陰で、なんだか少しhappyになった今日この頃です。
2002年も、しょっぱなから単純なことで妙に喜んでいる単細胞な私です。

ところで、琴のゆたんで思い出しましたが、ニューヨークはいまアジアブームなんで
すね。
漢字の入ったTシャツなんかも大人気です。
そして年に1〜2回古着物の販売会もあるんですよ。
毎回外国人で溢れかえっています。
はっきり言って、浴衣姿を見て「オーワンダフル!ソウ キュート!ゴージャス!」
の世界です。ま〜たしかに、浴衣姿も綺麗ですけどね。

アメリカでは、頻繁に小さなpartyが家庭で行われるのですが、ホスト(ゲストをお
迎えする人)が日本人や東洋に深い興味を持っている外国人だったりすると、ゲスト
はその日のホストの趣向に合わせた服、または小物を持って現れることがよくあります。
例えば着物の羽織を黒のパンツ等と組み合わせて、シックに着こなしているお洒落さ
んとか。
たぶん同じ服を、日本人が着ていても、「ちょっと違う...かも」の世界なのですが、
外国人が着ていると、何故かとっても素敵なんです。
なんでかな〜!?


みなさま、呉々も健康に気をつけて素晴らしい年になりますように



その18 2002年3月9日

ストレス200%!!
私の現在住まいは、マンハッタンのほぼ真ん中辺りで、エンパイヤステイトビルのす
ぐ近くです。
この地域、御想像の通り昼間の交通量はかなりなもの。

マンハッタンで車を運転する人達は凄い!
何が凄いかって、すぐにクラクションをならす。日本人でもそんな人は沢山いる。
しか〜しただならすんじゃない。
ならし続けるのである....。1分間〜2分間なんてざら。
人の迷惑?何じゃいそれ!それがどうした??ってな顔で鳴らしている。

「うるさい〜〜!」と思っても、当然恐ろしくて文句など言える訳がない。
一時が万事で、何事に対しても常に攻撃的なニューヨーク。
こんなんだから、生まれたての赤ん坊から年寄りまで、常にストレス200%で生きて
いる気がする。


しかし、車を運転する彼らの気持ちがわからないでもない。
道は常に慢性渋滞で、2重では足りず3重駐車だってざらである。
おまけに、この3重駐車の運転手、何処に行ったかなんて誰にもわからない。
すっかりお出かけムードで止めてある。
こんなことが街のあちらこちらで起きている。
込んでいる場所では歩いた方が絶対に早い。

友人と電話をしているときに「あ、ごめん、これって外からの電話だったの?」と言
われ、
「違うよ、家からかけてるけど..」
「うるさいから、ちょっと窓締めてくれる?」「閉まってる.....」ってな感じ。

特に消防車、パトカーがうるさいのは、もしかして世界一じゃないですか?
年中道が混んでいるので、非常車が後ろに来ていても一般車は道を空ける為の道がな
いんです。
そのため、いくらサイレンを鳴らし続けようが、乗用車の運転手も「一体わしに、どー
せいちゅうんじゃ!」ってな感じで、焦った振りして実は大きく無視。

道を歩いている人は、消防車、パトカーが近づいて来ると決まって耳を塞ぐ。
耳を塞ぐのは、地下鉄でもよく見かける風景。
電車がホームに入って来るときのきしむ音がまた凄い。
消防車もなにせ非常事態だからあのサイレンも仕方がないとは思うけど、生身の人間
の横であの音量でやられたらたまったもんじゃない。

先日も家の前を消防車数台けたたましい音をたてて通り過ぎていった。
丁度レッスン中だったのだが、とても琴の音が聞こえる状態ではなく、通り過ぎるま
で一時手を止めざるを得ない。

ボヤ騒ぎでたいそうな数の消防車がいくものだ!と、生徒とぶつぶつ文句を言ってい
たのだが、どうも廻りの様子がおかしい。
お稽古の後、外に来てみたらそこはとても美しい景色。
20台は集まったであろう消防車のランプが造り出す幻想の世界?
(不謹慎だが、たしかにちょっとばかり綺麗だった)

こちらは日本の消防車とは違いまずサイズがでかい!
そして消防車のランプが派手。
お隣の道沿いで起きたアパート火事だった。
真っ黒焦げでびっくり...。
大火事だった。

やじ馬で見ている私の後ろで、泣きじゃくっているアメリカ人の女の子がいた。
焼けたアパートの中から逃げてきた様子だった。
泣いている彼女を見て寒気がした。

1992年、それは私がまだアメリカに来たばかりのころ。

あれは92年10月の中頃、教えているコネチカットの大学の近所に部屋を借りて一人暮
らしをしていた。(10年経った今もまだ一人なのが、もっとこわいか?)
綺麗なアパートとはとても言えなかった。
風呂場は、人が一人立ったらもういっぱいいっぱい。
風呂桶等と言う豪華な物なんぞついていなかった。
その風呂場、入居して約2ヶ月経った頃、使用中に突然床が抜けた。
幸いその穴から私は落ちなかったが。そんな家だった。

うちの近所で起きた火事を見て思い出したことは、ある日大学での仕事を終え家に戻っ
た所、部屋の中がガス臭い。
「これはガス漏れだな、どうしようか?」当時、英語で消防署に電話が出来る程の語
学力がある訳もなく、考えた揚げ句、いまでも私が実の母親のように慕っている、同
じ大学の東洋学部の教授である淑子サミュエル先生に連絡をした。
先生は電話口で、かなり慌てふためいた様子で「いますぐこちらから消防署に連絡し
て、私もすぐ行くから待ってなさい!」

そして電話を切って2分後くらいにまた電話がなった。
それはまたサミユエル先生からで、消防署の人からの伝言で、「電話をつかっちゃダ
メ、リンガーの摩擦で爆発するかもしれないから」と。
その時の先生のあわてようは凄かった。
先生のあわてぶりに、私もちょっと恐くなってきた。

それから何分も経ってないと記憶しているが、誰かがドアを激しくノックしている。
「Hello!  Hello! !」って。
1階へ降りていきドアを開けたら、そこには190センチくらいはあろう大男、それはま
さに消防隊員だった。
私に英語で何かを話かけているが、アメリカに来たばかりの私にどうしてそれが理解
出来ようか。

「英語?じぇんじぇんわかりまへ〜ん....」と言う顔をしてたら、彼らは諦めたらし
く、いきなり私の脇を捕み、家から200メートルくらい離れた空き地まで私を持っ
て行った。
その後すぐ、サミュエル先生とご主人が、アクション映画で見るような車の運転で私
のアパートに到着。

その後の調査で、どうやらかなりのガスが漏れていたらしく、調理用のガスコンロ
(こちらではストーブと呼ぶ)から漏れていたので、早速取り外された。
でも、あの時爆発しなくてよかったな〜。
アメリカにきて1ヶ月目に、私は消防車4台を出動させた。

他にもう一度、うちに消防車が来たことが有る。

その後、その部屋があまりにも問題が多かった為、前と比べたら天と地ほども違う、
大きな部屋が幾つもある大学の教職員用の贅沢な部屋に引っ越した。

部屋がやたらに広い事と、台所がついている理由で(寮に入っている人は台所がな
い)、当時全く英語が話せなかった私、テレビもちっとも楽しくなく、毎晩退屈して
寂しかろうと、日本人の学生達がみんなで連れだって来て下さって?(ちょっと違う気
が....)よくウチで、たむろっていた。

ある晩、お腹が空いたので夕食を作る事になり、4人分の鳥肉を焼き始めたら予想も
していなかった大量な煙が発生。
部屋が臭くなるのがいやだからと、煙を出すために換気しましょっ!と部屋のドアを
あけたら、たちまちアラームが鳴り始めた。
「え!これって私の煙で鳴ってんの??」

約2分で消防車5台到着。
もしかして怒られる....?
おそるおそる外を覗いてみれば、中庭にはすでに貴重品サイズのカバンを持った大学
の教授達が避難している。

これは、ちとまずいことになったぞ、きっと怒られるから、ここはしらばっくれてご
飯でも食べていた方が良いと言うことになった。と相談中に同時にドアノック。
たしかに見覚えのある190センチの大男が立っていた。
お久しぶり〜〜の世界!!

彼は優しく言った。
「調査の結果、あなたの部屋近くのアラームが鳴ったんだけど何かしたの?」と聞か
れたので「鳥肉焼きました...」と正直に答えた。

「火事でなければ良んだよ、楽しい夕食を!」と言われ、彼の優しい言葉に全員感動
し、しらばっくれようとした事を全員で反省。
おまけに「Good see you again (またあえて良かったよ)」と言われてしまった。
なんて良い人なんだと、とっても感激してしまった。

それ以来、しばらくの間お肉を焼くのが恐くなったというか、消防隊員さんに対して、
なにか後ろめたい気持ちがあって...。なんなのか良くわからないが、とにかく胸が
痛んだ。

昨年の9月11日に惨事で、多くの消防隊の方々も犠牲になられたが、きっとみなさん
私が知っているあの消防士のように、勇敢で優しい人だったに違いない。
身の危険を省みず、人の命を助けることって、そうは簡単に出来る事じゃない。
本当にご冥福をお祈りいたします。
そして、2度とあのような惨事が起きない事を祈ってならない。


なんの話だがわからなくなってきたが、ストレス200%のマンハッタンでは優雅に琴を
弾いていられないって事がいいたかったのかもしれない....。それでなに?って?


P.S.
マンハッタン下町の、あるお店の入り口にある大きな看板。
看板には、”ATM inside”と書いてある。
ATMと言うのは、銀行の現金自動引き下ろし機の事。
こんなに怖い顔したおじさんが、「このお店の中には現金自動引き下ろし機があります」。
普通の人は、とても怖くて入る気にはなれない。(実は怖くない普通のお店ですが)
いつの間にかなくなっていたこの看板。
もしかして、いくらなんでも怖すぎると苦情でも出たのだろうか? 


なにを見てもストレスが溜まる。
看板が怖すぎる!!


その19 2002年5月23日

売り込みの厳しさ!
このHPを読んで下さっている人から、最近mailでのお便をいただく事が多くなりました。
一番若い方では、関西地方の中学生で邦楽についての宿題を書くのに、外国での活動
を参考にさせてもらってもよいかとの問い合わせから、上は80才、30年前から琴を始
め、現在もお琴を続けているんですよ!という方まで。

なんだか最近、邦楽からひどくかけ離れた内容が多くなってきてしまっているにも拘
わらず、「楽しく読んでます!」などと言っていただいた折りには、書き続ける事に
意味がある、是非続けるべきだ!と心新たにしている今日この頃です。

新聞のnewsを見る心の余裕もない位忙しい春時期も、やっと終盤を迎え、すでに汗ば
む時期になってやっとこの記事をまとめています!

さて、ニューヨークもかなり春めいて来て、私達の仕事が出番です。
(と、文書が始まる筈でしたが.....)

6月ころから初秋にかけて、サマーフェスティバルがあちらこちらで盛んに行われて
います。この春期、忙しさにかまけて夏へ向けての営業を怠ると、夏は非常〜につら
い季節となってしまいます。

ちなみに、東海岸の冬はとても厳しく、長く辛い時期なので、少し暖かくなったかな
と思うと、春と呼べる期間は普通約1週間〜10日程度で終わってしまい、一気に夏に
突入です。
厳しい寒さに約半年も耐えてきたニューヨークの人々は、夏が来るのを心待ちにして
います。
4月頃から街中も一気に模様替えです。(今年はずいぶん早くから暖かいですが)


               (桜祭り 2002年春)

7月と8月には、マンハッタン内のあちらこちらに特設ステージが設けられ、世界の音
楽が、またダンスの公演が行われています。
いま私は、その夏の間に行われるコンサートに今年も是非入れてもらおうと、必死に
係の人とコンタクトを取っている最中です。

こちらの人は、基本的に次々と良い仕事を見つけ職場を変わっていきます。
ひどいときは、先週電話で話した人がもうやめて1週間でいなくなっていることもあ
る。
そのため、折角出来たコネクションも、次の年に連絡してみれば、と〜〜っくの昔に
辞めていない...。
やっと、コネクションができたのに〜〜!っと、がっくりです。
でも、そこでいじけていても仕方がないので、気を取り直し、またせっせと売り込み
にかかります。

しかし、世界中人間考えることはみな同じ。
ニューヨーク近辺からだけではなく、全米各地から参加を希望する色々なジャンルの
音楽家、またはダンサー達が出演を嘆願し、いまでも寝ずの作業で必要書類を揃えて
いることでしょう。
少しずつ琴もポピュラーになってきているとはいえ、ピアノやギターのように誰でも
知っているという楽器ではまだまだありません。


            (琴尺八 メキシコツアーにて)

なんのコネもない場合が多い中、電話帳で連絡先を調べ、係の人と運良く直接電話で
話が出来るのは100件中10件にも満たない。
当然あちらさんは、毎日同じような電話を受けているので、「では、書類送って下さ
い。興味があったらこちらから連絡します」の一言。
電話なんてかかってくる確率は、1億円当てる確率とどっこいかも?

こんな競争率の中、果たして自分の楽器をどうやって売り込んだらいいのか?
時には、夜も寝られない程のストレスになったり。

当然相手は英語圏の人間ですし、何と言えば簡潔に良い印象で会話ができるのかと。
情けないが、英語では、回りくどい日本的な謙遜を含みながらも、必ずやりたい意志
を伝え..なんて!こんな深〜い難しい事は伝えられない。

でも、ここであきらめると夏、とても悲しい....。
自分が出たかったステージで人が演奏しているのを、指をくわえてコーヒー片手に眺
める。めっちゃ、悔しい!
来年こそは必ずあの舞台に琴がのるんだ!と、毎年メラメラと闘志を燃やしているの
です。

どうも私が思うところ&聞くところ、日本人はあまり売り込みが上手くないらしい。
日本では、いまでも謙遜を良しとし、自分はこんなに素晴らしい人間なんだって人様
にはっきり伝える事なんて、人生を通してもめったにないのではないでしょうか?
しかしこちらの方々は、日本人はとは全く正反対の気性を持っている場合が多い。物
事の審査をする人達も、多くの場合同じ考え方なので、謙遜を良しとする控えめな日
本人の奥ゆかしさなど理解できる訳がないでしょう。
「コンニチワ」と「オハヨウ」が言えるだけで、履歴書の「得意な語学」欄に「日本
語」と書く人達ですからね。
こちらも図々しくならないと、当然負けてしまいます。
「英語べらべら」とでも書いてやっか?
いかん、いかん、自分の中の良心が痛む〜〜。

寝ずに作った履歴書を送って、相手が受け取った頃を見計らって電話を掛ける。
留守ならば、本人が捕まるまで毎日かける。
秘書に、嫌な事の1つや2つ3つ言われても負けてはいけない。
まずは、履歴書を見てくれたか?
私達の音楽を聞いてくれたか?と、とにかく我が身を売り込む。
書類を送ってから2週間経っても、まだ見てないと言う奴がいる。
”見る気あんのか〜〜!!”と、のどもとまで言葉が出かかるが、そこは我慢である。

内容が素晴らしければ相手から電話が来る、と言う人もいるが、それは世界レベルで
有名な人だけに言えることのように思えて仕方がない。
少なくても、私ではない。

自分が最善を尽くしても、物事が願わないときが多くある。(実は殆どである)
そうすると、いじけて2〜3日は落ち込む生活を余儀なくされる。
でもこの粘り強い根性、経験と努力はまたきっと日の目を見るときがある!と信じて、
また次の所に書類を送る。
この際、履歴書500枚位、まとめてプリントアウトしておこうかな?

果たして今年の夏は????
楽しい夏を送りたいもの






その20 2002年7月16日

あっという間に、nyに本格的な夏がやってきました。
今年はどういう訳か日本の様に湿気が多い。
朝暑くて目が覚めるなんて事は、少なくとも6月、7月にはなかったのに、とにかく今
年は蒸し暑い。と、思えば次の日は長袖を着なければならない程小涼しかったり。
全く訳わかりまへん。

前回、夏にはどこかのサマーフエスティバルで是非演奏したい!と書いた私。
願いが叶ったのか? 昨年の1月サンディエゴで演奏した「フルオーケストラとの琴
の為の曲」をもう一度演奏する機会をコネチカットで頂戴し、先月末無事に終わりま
した。
演奏当日も蒸し暑い日だった。
予想するところ、35度以上40度以下ってところでしょうか??

12時から始まった屋外ステージでのリハーサルの時には、もう鼻血がでそうなくらい
暑い。
お気の毒にも、フエスティバルコーディネータの女性は、帽子をかぶっているにも拘
わらず、顔が真っ赤になっていた。
次の日に会うのが怖いのである。


私はリハが終わってから、冷房の効いた部屋で出番の5時まで待機。
さて、いよいよ出番が近づき最終的な調弦を室内で済ましてから、楽器を外に持って
出たのですが、3分後にチェックしてみたら、転調マークからすでに5ミリ程度のずれ
が....!
曲の途中で13本すべて転調するので、マークが必要なのですが、これではもうマーク
しても何処まで信用出来るわからない。
あとは天に祈るばかり。
どうか糸ののびが最小限でありますように...。

出番ぎりぎりまで調弦を待っていざ舞台へ。

結果は、後半にはやっぱり糸が1センチ以上延びていて、調弦何が何だかよくわから
なくなってしまった、
弾く手が早く、調弦を直す余裕はない。

2000人はいたであろうお客は、そんな苦労一つも知らず、みんなタンクトップに短パ
ン、そしてワインとチーズで思いっきりリラックスしている。
私一人が色の濃いあわせの着物を着て汗びっしょり、おまけに転調にびびって”脂汗’
かきまくって....。
仕事って、ほんと大変ですね。

見に来てくれていた友人が「ぐえ〜〜〜〜、暑苦しいそうな着物やな〜〜!」
「暑苦しくてほんと〜〜〜に申し訳ない....」と詫びた私でした。

そして、先月は世界中が”ワールドカップ”で燃えていた様ですが、見事に一度も試
合を見なかった私。
生徒からは「非国民〜」と言われたが、それでも見なかった。
閉会式&表彰式で、ニューヨーク時代の友達が着物姿で出ていたのだけを最後に見た。
たしかに非国民かもね。

でもね、ワシントンDC日本大使館、韓国大使館主催の「ワールドカップ 日韓記念コ
ンサート」に、日本の代表として琴が起用され、中国琴、そして韓国琴カヤグムとチャ
ンゴで参加しましたよ。だからいいや。

まじかよ!!


以前にニューヨークは今とっても、アジアブームだと言うことをお話しましたよね。
日本の品物を扱うお店や(小物とか着物、などが置いてある)他によくあるのは、ア
ジアテイストの家具屋さんかな。
ランプが竹細工だったりとか、和紙だったり、高価なものではベットが畳でできてい
て、そこの上に、こちらでは”ふーとん”と呼ばれている日本では運動するときの時
のマットみたいなものを敷いて寝るものなど、とにかく東洋系の品物を扱っているお
店が目立って増え続けています。

先日、日本製の洋服や色々な小物を中心においてある古着屋さんに行ったのですが、
そこについでに?中古の琴も売っていました。それは埃まるけのボロボロ....。
値札は$1000(約10万円くらい?)

おきまりで、早速手に取って見ていたら、後ろからそこのお店の人が近寄ってきて
「その琴はね〜、まだ充分弾けるよ!これくらいの品物になると普通は$1000じゃ買
えないからね〜。悪くないと思うよ」って。
「はぁ〜そうですか.....(^ー^!)」とさり気なく楽器から手を放す。
もう逃げの体制に入っている。
心の中で ”この嘘つきじじい!商売上手、サギ師やろうめ、ぶ〜〜っころすぞ!”
と、とても口には出来ない言葉が一気に頭の中を駆けめぐる。
おほほほぉ〜〜、育ちがわかりますね!

でもね、本当にこれ$1000で売るか?って言うくらい古い、ふるい楽器だったんです。
糸も当然絹糸で、いまでは完全に濃い〜茶色になっていました。
一体、いつの時代の楽器なのか?今世紀の物か?

最近頻繁に、弾かなくなった、もしくは一度も弾いたことのない琴があるから引き取っ
てほしいと頼まれる事がよくあります。

今までに引き取った楽器のお話。
*持ち主 お見受けしたところいま85才くらい?

彼女いわく「わたしが娘の時には、毎日おけいこしたものですよ、ほほほぉ〜」
ってことは70年くらい前の楽器??結構貴重品だったりして。
それは螺鈿細工が施してあって、最近ではなかなか見ることのない立派な楽器でした。

*アメリカ人の女性から引き取りの依頼。

大昔、日本に住んでいた時、友人からこれを餞別に貰ったが、一体どうやって使うの
かわからない。 誰かが”琴”と言う楽器だと教えてくれたと言う。
とにかく自分には必要ないから買ってほしい。$2000でどうかと。
これまた開いた口が塞がらない。
私は、アンチィーックとしてではなく、演奏楽器として使うので、楽器としての値段
しかつけられない。
当然$2000なんて金額では引き取れないと言うと、”じゃあ、何処で引き取ってくれ
るんだ!”という。そんな事、あたしゃ知らん。
そこまではわからないと答えると、彼女は手のひらを返したように突然怒り始めた。
こちらもむかついてきた!
もしかしたら、誰かが高く売れるとでも知恵を付けていたのではないでしょうか。
これでひと儲けしようと、密かにたくらんでいたのかもしれないが、そうは問屋が下
さない!
彼女、結局怒ってかえちゃったけど、ニューヨークで他にお琴を引き取ってくれる人
が果たしているだろうか?

*よくあるパターン。

いちばん厄介なのが、バイオリンと勘違いしている人が多い。
バイオリンの「ストラディバリウス」みたいに、時を経るにしたがって(つまり古い
ほど)琴の音もより熟成されていくと勘違いしている人が多い。
「これは、20年ものだとか、30年ものだとか....。」
木は見事に乾いてカスカス、参っちゃいます。

*コネチカットの大学で個人レッスンを取っていた方。

3年前、当時65才くらいの日系の女性がお琴の個人レッスンを大学で取っていました。
年齢的にも、もう決して上手く弾く事はできないけれど、楽しみ程度で頑張って練習
するので、是非お稽古を取りたいと申し出が有りました。
それでは、ご自分にあったペースで練習し、楽しんで弾いて下さって結構ですからと
言う条件で練習を始められました。

その後、約3ヶ程お稽古にいらしたでしょうか?
ご自分のペースで楽しんで弾いていらっしゃいました。
5月になり、アメリカの大学は9月まで長い夏休みに入るので、ではまた9月にお目に
掛かりましょうとお別をれをしました。

そして9月になり新学期が始まりましたが、どうしたことかその方から全く連絡が入
りません。
いつから学校が始まるのか、もしかして御存事ないのかもしれないと思い、お宅に連
絡をいれた所、同じく日系人のご主人が電話に出られ「あなたは?」「ウェスリアン
大学の琴のいしぐれですが」と答えると、受話器の向こうで彼の声がうわずっている。
「えっ、なに...?]

とっさの事で、訳がわからず沈黙が続き、その後彼からショックな事実を聞かされました。
「妻は、8月に友人とユタ州に旅行に出かけ、彼女が運転する車が高速道路で交通事
故を起こし、ワイフは即死でした...」 唖然。

その後暫くしてから、ご主人様からご連絡をいただき、奥様が大切に使っておられた
お琴を私に引き取って是非使ってほしいとおっしゃいました。
それは、とてもとても古いお琴でしたが、糸を新しくして今も大切に使わせていただ
いています。

なんだかんだと、人から引き取った楽器で家の中はもう一杯である。
大きな家ならともかくこの狭いマンハッタンの家で。
いまうちには、17弦1面、短い琴1面、普通琴12面。
まだ他に、出稽古をしているお宅に1面、太鼓との演奏の時に使う1面が友人の車に中
に置いてある。
廊下は14面の琴が占領していて、アメリカサイズの掃除機は当然通り抜けができな
い....。


部屋が狭くて掃除機が通れない....(^_^;)



ニューヨーク邦楽事情 
その21へ続く

戻る
HOME

inserted by FC2 system