ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その38 2006年11月14日

新たな出発?
子供が産まれて、はや4ヶ月半になります。
毎日が恐ろしく早く過ぎていき、おむつ換え、ミルク、抱っこ、洗濯、掃除、食事
の準備。
親の食事の時間になると匂いでわかるのか?決まって彼が目を覚ます。
寝ているうち&暖かいうちに食べてしまおうと思っているものは全てよ〜〜く冷え、
ラーメンに至っては軽く倍に増えている…。とても早食いになった思う。
普通に仕事していたときの方がまだ時間があったかもしれないな〜あ。
この数年、何も用事や仕事がない日ってのが殆どなかったから、ダラダラ過ごすのって
実は結構楽しい..。

赤ちゃってお腹が減ったら泣くのは知っていたが、ミルクもそんな にすぐ温まる訳
ではない。温めるその2分が待てないらしく、ビル中に聞こえるような声で泣いてくれる。
思わず口にガーゼをかぶせてしまう。虐待??
ご近所さんは、私がいじめていると思っていると思う。アメリカでは結構冗談になら
ない。

生徒さんが一日も早いお稽古の再開を待っていてくださるので、そろそろ再開しなく
ては。勿論自分のキャリアの為にも。
必死で子供を預かってくれる所(人)を探しました。
週5日預けた場合月額約2000ドル(日本円で約22万円)!!場所によっては2500ドルに
近い。が、さすがアメリカ、働く母を助ける(低所得者に限る)システムもあって
そこでは所得金額に応じて保育料を支払う。日本の保育所と同じかな?申 請が通ると、
ニューヨーク市と契約しているシッターさんが週5日間午前8時〜午後6時で面倒をみて
くれて(生後6週間から)、本人負担はなんと1日約30ドル程度。これならなんとか
なりそう!
世の中捨てる神ありゃ拾う神有りじゃ〜〜っとウキウキで申請してみたが、幸か不幸
か?夫婦での所得計算のため、応募資格がなかった。

シッターのリストはインターネットでも名前等が公開されているので、個人的に数人
のベビーシッターさんと会ってみました。プライベートでも預かってもらえるとのこと
なので、悩んだ結果推定年齢55才くらいでスペイン語しか話さない、めっちゃ恰幅の
いいお母ちゃんタイプの方に見て頂くことに。
聞けばこの道26年だとか。たしかに赤ちゃんの扱いが慣れてそう。殆ど英語を話さな
い(話せない)ので、お嬢さんが英語で通訳してくれる。それは私にとって、通訳に
なっているようなないような?

いままでアメリカに来てずーっと走り続けて来た感があるので、子供を持ったのを機
に少しは家族との時間も持ちたいから、お稽古は週に2〜3日程度に。

同じ沢井琴曲院から私よりも8年早くオーストラリアに行き、今から6年前に子供を
持った先輩の小田村さつきさんが電話で何度も言っていたな。「まーちゃん、いまのう
ちにべたべた触りまくって、しっかりとなめてまわしておきなよ!」って。
お子さんがすでに成人したある方がぼそっと。我が息子、家にいるなっと思えば決
まって食事時。

小さな手で、私の指を握り腕の中でミルクを飲んでくれる時期なんてあっという間に
終わってしまうらしい。
このままずーっと赤ちゃんだったらいいのに….と思ってしまう、見事な親ばかちゃん
でございます。

話を戻しますが、日本でも子供を預かってもらうとこんな金額なのだろうか?
一体これはどうしたものか。
働いた給料の殆どが、目の前を素通りしてシッターさんへの支払いになるのだと
よく聞いていましたけど、ついに自分の番が来ました。
預かってもらうのも誰でもよい訳ではなく、人種、人柄も大きく関 係してきます。
やはり出来ることならば、日本人の方に見て頂けたらと思うのです が、なかなか条件
が揃い、0才児を見てくれるところ(人)はいないに等しいのが現状で。
親の都合で子供を預ける身勝手さに心が痛む。なんだかんだと悩み はつきない。

子供を持って仕事を続けている世の中のお母さん(勿論お父さんも)に敬意。

東京フィエスタ


左:アメリカ人が尺八吹いている〜と日本人に騒がれる二人   中:本格的な踊りの衣装って初めて見たな

東京都主催のイベントに参加するため、はじめて息子を生徒さんの お宅で1日預かって
いただいたのですが、演奏のための準備と預けるための準備でわ たくしは夜中までてん
やわんや。
朝は主人が抱っこ紐で連れて行ってくれましたが、朝はかなり寒く、着ているものだけ
でぼこぼこ。親子してだるま状態。
赤ん坊にとって、車のないニューヨークの冬はなかなか厳しい。

このイベント、東京へ観光客を勧誘するのが目的。
すだれ作りの実演、提灯作りの職人が実演をやっていた。日本人の私たちでさえもあ
まり見たことないかもしれない珍しい催しものがいろいろ。


     日本人でも珍しい伝統工芸?

琴と尺八の演奏は、特設舞台で30分の演奏を9回×2日間。

イベントは街のどまんなかにあるグランドセントラル駅の構内。電車で郊外からマン
ハッタンに入ってくる人の数は連日数万人に及ぶ。
ほっておいても自然に人が通り、みな立ち止まる場所。
とにかく大きなスペースなので、琴と尺八だけではお祭り的なイベントとしてはなん
だかもの寂しいので、動く人がいた方が良いのではと日本舞踊の方にも入ってもらった。
そこそこに大きい舞台ではあったが、踊りが入るたびに楽器、椅子、マイクなどをすべて
移動し、終わったらまた元に戻して次の曲の調弦。もう舞台上はぐちゃぐちゃで休憩の30
分なんてないに等しい。

おまけに大変な理由の一つに、いま使っている立箏台が問題ですね。H型を使えばせめて
舞台上での移動は楽なのでしょうが、みんな自宅から地下鉄やバスでの移動なので、琴ケ
ースの中に長板を入れ、着物を担いで長く歩くのはさすがの私でさえかなりキツい。
持ったすぐ一瞬はあまり重くなく感じるのですが、あ〜〜だめだ、やっぱり地面にめり込
むぅ〜〜!

演奏曲目は、バラエティーを重視し選んだのはいいが全部調弦が違う。現代曲だけ選んで
弾いているのに、中には予想外に受けの悪い曲もある。
ふ〜〜ん?そんな曲はあえて入れる必要はないじゃん、みんなの意見も聞いて気乗りしな
い曲は外すことに。
曲数を減らすことで、転調の数が減りとっても楽になった。いろんな段取りが着いた初日
の午後、すでに私の頭の中は “グルングルン“していた。

1日目が終わって家に帰ると、息子をだっこする元気もない。
体力には自信があったがかなり疲れている。母親なのだから、仕事も子供の事もちゃんと
しないといけないと気は焦るばかり。が、足取りはフラフラ。
明日に響いてはと、お風呂にも入らず子供の顔だけ見、後はだんなにお任せしてとっとと
寝る。

翌朝
イヤな予感が的中。持病の偏頭痛、頭ガンガン、そんな時は決まって激しい吐き気に襲わ
れる。起きるなりまず吐く。朝7時半集合。極めつけ外はドシャブリの大雨。あ〜〜できる
ことなら休みたい。贅沢にタクシーで会場へ。

会場に着いたときは、顔が真っ白だったらしく、みんなが休んでいていいと言ってくれる。
その後も吐き気が収まらず、午前中は全くダメ。トイレで吐いていたら、青い着物の人が
吐いているけどあれ誰?って噂がまわっていた。
アメリカのトイレはストール(個室)のドアの下があいているので誰が中にいるか見え
ちゃうのです。ちょっと恥ずかしい日でした。

その間に生徒さん達が機転を利かし協力しあい、舞台の準備をどんどん進めてくれる。
経験者がまだ不慣れな新人さんに指示を出し順調に進んでいるようだ。私はそんな生徒達
が誇らしいかったし、とてもとっても頼もしい光景だった。


左: 街中に張ってあったポスター        右: 3Dを見ていたらそのままの姿で写真取らせてって。めがねなしの顔に何か問題でも?

大雨にもかかわらず、駅の構内だけあってかなりの人。
偶然通りかかったとはいえ、演奏を聴いてくれる人がいるってことは、演奏者にやる気を
起こさせてくれる。
とんちんかんなアメリカ人が「ニーハオマー」とか言ってくる。
もういちいち説明するのも面倒なので「ニーハオマー」と返事しておく。そういえば
「アニョハセヨ」とも言われたわ(韓国語)。まあ、彼らにとって は日本も中国も韓国も
一緒なのでしょうか?
私だって、決して世界のこと良く知っている訳ではないので、彼らのことを責められない
ことを悟った今日この頃です。

さあ、今月からお稽古の再開です。産後の何もしなくてよかった日よ、さようなら。
また気合いを入れていままで以上に頑張りま〜す。



ハロウィーン
 
左:有名レストランの店員までが...!            中:大きな手が可愛いですね                  右:帰りのバスの中 たぶん親子だと思う

先月の終わりに、マンハッタンで恒例のハロウィーンパレードがあった。息子にも見せて
あげたいと(まだ何を見ても分からないけど)行ってきました。
凄い人、人、ひと。
毎年目を見張るユニークな変装ぶり。そしてみんな明るい人達ばかり。


左:ちょとお兄さん(イヤお姉さん?)大事なうちの坊やには何もしないでえ〜〜〜                  右 恐ろしく陽気なおじさん(イヤおばさん?)

「あら〜〜可愛い坊やねえ、一緒に写真取ってあげるわよ」って......。
嬉しいけど、あなた様は男子ですよね???


その39 2007年4月19日

雪で空港閉鎖
2007年 お正月からもう半年以上過ぎた気がしてなりません。
思いついたことを日頃から書き溜めるようにはしているのですが、なか
なかまとまった時間が取れず、いつも中途半端になってしまって….。
そんな訳で少し長いけど読んでやって下さい。

今は週に数日ではありますが朝から晩まで約30人の生徒さんを教え+
子供の世話、桜の花が咲く春は演奏会が沢山あるので、子供を主人
に任せて泊まりで演奏にも出かけています。

先日ピッツバーグへ行ったのですが、行く前日から大雪の予報が出てい
ました。
同行の生徒も尺八の演奏家も、絶対に演奏会の日程を変更してもらうべ
きだと連絡してきましたので、先方にまあ〜ダメもとで聞くだけきいて
みようと電話をかけたのですが、チケットをすでに販売しているので、
とにかく演奏者がこられるのなら延期しないとの返事。
半年も前に契約書にサインもしたし、雪が降ろうがハリケーンが来よう
が、飛行機が飛んでしまうならば行くしかないかあ….。
(ちょっとがっくり)

ニューヨークを出るときから、翌日はもう絶対に帰れないと予期してい
ました。
でもでもニュースで言っている程、実は降らないのかもしれない…と、
どこかで脳天気に構えていたりして。そう思ったあたしがアホでした。

予定通りピッツバーグについて荷物を待っていたのですが、待てど暮ら
せど琴が出てこない。
最近は飛行機会社の経営も厳しいせいか、国内線でも必ず楽器の追加料
金を請求されるので、経費節約で2面入りの箱に2面入れて
いきました。そうしたら一つ分の追加料金で済むからとせこい考えがあ
だとなり。そしたら今回ラッキーにもノーチャージだったけど。

ちょっと待ち時間が長すぎるので空港の係員にきいたら、ぬぁ〜んと琴
がまだJKF空港にあるって。
最近は箱を一度開けて中身の検査があるのですが、あちらが言うには検
査に時間がかかって飛行機が出た後に荷物が下に運ばれてきたと。
なんでやねん、そんな馬鹿な話はない。十分早くチェックインしている
のに…。
次の便に乗ってくるとしても、もう演奏会は間に合わない。
係員とその場で喧嘩している場合ではない。どうしようか。

全員で暫く凍り付いたあと、今晩どうするか考えながら、主催者と連絡
を取り事情を説明、とにかくローカルでどなたからか琴か三味線をお借
りできないか当たってもらう。
その日は予想より早々に雪が降り始めていて、空港も閉鎖、街中はどこ
も閉まっている。
お天気さえ良ければきっと連絡がついたであろうジャパンソサイ
ティー・ピッツバーグも残念ながらどなたもいらっしゃらないみたい。
この雪でいるわけないわなあ….。

尺八の ジムさんが職業別電話帳で日本食レストランを探して、
あんたのレストラン邦楽のライブの音楽入れてるか?と聞いている。そ
んなんで琴が見つかったら奇跡でしょうね。

ニューヨークに戻る飛行機ももうないし行くところもないので、取りあ
えず演奏会の会場へタクシーで移動。本当はレンタカーで移動する筈
だったが、あまりにも交通のコンディションが悪いので、タクシーで来
て良いと言われたのが幸いだった。でも支払いは自分….がっくり。

田舎の方はとにかく走る。会場まで45分くらいだと聞いていた
が、自分達がすでに疲れていた事に加え、交通事情が悪い事もあって凄
く距離があるように感じ途中気が狂いそうになった。
が、これがまだまだ悪夢の始めだなんて、その時誰が気づきましょうか?

結局1時間半くらいかかって会場に到着。
会場のスタッフの努力で琴1面、三味線1丁をお借りできる
手配がついていた。
この吹雪の中、拝借できる距離に琴や三味線があったこと、みんなが奇
跡だと思った。どこからも楽器をお借りできなければ、尺八2時 間ソロコン
サートになる運命だった。(わたしはそれでもよかったかも!?)
私が「楽器がなかったらあたしやることないんで、一度も習ったことな
いけど日本舞踊でもやってみせようか?」と言ったら廻りのみんなに思
いっきりしら〜〜とされ、険悪な空気が。生徒に「せんせい…..」と一言冷
たく言われる始末。
みなさん、こんな時のために身体一つで出来る芸も必要ですよ。

あの吹雪の中、お客さんが80人も来て下さった。感謝感激。

疲れ果ててホテルに戻りやっと夕食と思ったら、道中お店が一つも開い
ていなかったことに気づいた。見えていて遠い店屋、どこも歩いて行け
る距離でないし、電気が消えて真っ暗、いつもホテルへの配達してくれ
ている店も今日は早々に閉店。

しなびたサラダでもなんでもいいから…と願ったが閉店していてなにも
ない。それでもと歩いて外に出たら、見事に凍り付いた道で滑って転ん
だ。やっとの思いで見つけたお店で冷凍のスープを自然解凍して食べ腹
が痛くなった。

次の日の朝、一応空港に行ってはみたが、素人目にみてもとても飛びそ
うにない。
わかっていたので、今日はホテルで一日ゆっくりするべと。
演奏会に間に合わないのでニューヨークで預かっておいてくれと頼んで
あった琴がピッツバーグの空港に今頃届いていた。もうメッチャクッ
チャだ!
空港で預かってもらっていたので、練習のため1面だけホテルに
持って行く。
練習していても、どうにも子供の事が気になって仕方がない。


翌朝 晴天
朝5時半に空港到着 やっと帰れるぞと心が弾む。が、神はそれ
を許さない?
滑走路まで行っていまに飛ぶぞっていうときに“キーゴロン”なんか変
な音。
殆どの人が寝ていたが、みんな起きて外をのぞいている。
しばらくしてパイロットから乗客の皆様へのお知らせ。
4つあるブレーキのうちの3つが壊れてもう動けない….
でも飛ぶ前で良かったと。みな凍りついた。死ぬところだったのか。

もう怒る元気もなく、ただ次、どうなるかだけが心配だった。
あ〜子供に会いたい。
スタッフが来て修理をしたが直らず、滑走路近くで5時間待って
最後にbusでゲートへ戻ることになった。
やたらに息子の顔が浮かんできて、悲しくて悔しくて涙が出る。
なんでこの飛行機なの〜〜??

ゲートに戻ってすぐに次の便を予約したが、当然満席。結局その便も
キャンセルだったけど。
次の便は3時半。
あ〜〜これでやっと帰れる、あと少しの我慢。
怒るな、落ち着けと自分自身に言い聞かせる。

けど2時半になって、3時半の便もまたキャンセルだといわ
れた。理由がわからないらしい。理由がわからないとの返事にぶち切れ
る。一人で文句をたれたが空港係員も人間、みんなが疲れて果てている。
その日の午後にはお天気の問題なかったが、肝心の乗務員がいなかっ
た。雪で飛行機が飛ばず、その為乗務員の入れ替えができないので、便
が少ないフライトはクルーが足りなくって飛ばなかったらしい。そのこ
とは大きな問題となって、大きくニュースでも大きく取り上げられてい
た。

怒りもここまでくると、どう表現したらよいか。
私は次の仕事のため、夕方にマサチューセッツへ行く予定だった。なん
とか現地へ直接行ける方法を考えたがどうしても無理。もう明朝の公演
はキャンセルするしかない。なんてこった。落胆。

次は夜7時半の便の予定。
ボストンから飛んで来た便が新しい部品を持ってきてくれた。
が、100%直るかどうかわからないとかいっている。私が下へ降
りていって絶対に直せ!と渇入れたる。
みなの願いが通じて、8時になってようやく搭乗が始まった。
我々3人、無事にニューヨークに着くまでは喜ばない事を決めた。
この先なにか起こるかわかったもんじゃない。

夜11時過ぎ、無事ニューヨークに着いた。かなり感動!
到着してぶったまげたが、出発ロビーに1000人以上の人が出発を
待っていた。中に産まれたばかりの赤ちゃんも沢山いた。そんな親子が
バンバン目に入って仕方がない。乳飲み子を抱えている両親が本当にお
気の毒だった。

自宅に帰ったのは12時過ぎ。すぐに寝たかったがそうもいかな
い。というのは、翌日の公演は朝と夜の部があり、朝はキャンセルさせ
てもらったが、夜の部には行かねばならない。
Busが出ているので時間を調べる。ニューヨークから6時間掛か
る。朝早く出ても着くのは夕方か。
朝また息子を預けに連れていく。結局1週間毎日預けてしまった。
かわいそうなのと後ろめたさで落ち込む。

夜の公演が終わってすぐにニューヨーク行きの電車に乗った。夜中の
2時に帰宅。今度こそバタンQ。

主人にも子供にも迷惑をかけながら、自分のやりたいことをさせても
らっているその分精一杯やらなければ罰があたると思う。



「鳥のように」




沢井先生の「鳥のように」が大島ミチルさんのアレンジで、オーケスト
ラとの演奏が可能になっています。
先日アジアシルクロードと題したコンサートでニューヘブン. シンフォニ
ーオーケストラと一緒に演奏しました。
琴の他には中国のピパ(琵琶)、韓国の太鼓、チェロがソリストとして
参加。
流石イエール大学ぅ〜〜、と思わせるどこか重みのある学園内にある
1000席の素敵なコンサート会場。

オケとの演奏の時にはいつも思うのですが、ゆっくり納得がいくまでリ
ハーサルをし、マイク調節などをする時間がないのが大きな問題。
100人からのメンバーを抱えるオケは、リハも時間から時間できっちり
きめられているので、仮に疑問が残ったままであったとしても次々いか
ないといけない。

自分の演奏の質よりもマイクが心配だった。いつも同じ問題。
中国のピパは音が高いし、前に音が出る構造。トリルの一つ一つまで綺
麗に聞こえていた。
その点琴は音が下から出るし、糸がメタルではないせいで音の通りが悪
いのではないかと…聞きに来てくれた生徒さん達が言っていました。
特にこのオケバージョンの鳥のようには、琴とオケが同じ旋律を弾くと
ころが多いせいもあって、琴の音が聞こえにくいのかな?
最高に素敵な曲なので、また将来機会があったら演奏したいです。


「調弦が大変!」

フィラデルフィア美術館でJapan dayと適当に題した? コンサートを
行いました。昨年は津軽三味線の吾妻さんが演奏されたそうで、
1時間の演奏を2回。

今回は美術館とフィラデルフィアの日米協会からの依頼を受けて演奏さ
せて頂きました。石造りの広いスペースで、お客さんは食事やワインを
飲み楽しみながら、毎週金曜夜コンサートを楽しむという企画。
今回は書道家柿沼さんともご一緒させていただきました。
柿沼さんは、いまNHKで放送されている大河ドラマ「風林火山」
の題字などを書いておられ、日本の雑誌等でも紹介されている時の方。

この美術館で何度か演奏させてもらっていますが、今回の企画は音楽を
聴きながら時間を楽しむというのが前提の為、誰にでも聞きやすい音楽
にしてほしいという依頼。
はっきりと、通常の日本の音楽はこの企画には不向きと言われてしまって…
困ったな?何かいい曲ないかなっと去年からずーーっと考えていました。
非常に安易ですが、太鼓と一緒がいいかな?と思いましたが、問題は適
当な曲がない。

そこで前からよく聞いていたジョン・ネプチューンさんのCDで
琴、尺八の他にチェロ、ベース、パーカッションで構成されているもの
があり、曲の雰囲気もフュージョンっぽいのでよいのではとご本人に直接
連絡してみたところ、快く演奏の許可を頂きました。
早速練習を始めてみて8曲全部調弦が違う事に気づく。
ライブで8曲、全曲調弦代えるのはなかなか厳しい。
スムーズに音楽を流すために、転調の度に止まらないほうがいいのです
から。
取りあえず3面持っていきましたが、マイクなどのテストに時間
がかかってしまって、8曲全部マークできないまま本番へ。浴衣
に着替えること30秒。(やれば出来る!!)
舞台に出てから曲順を決めてマークしてない曲はそれから調弦。こんな
事ってありでしょうか?あ〜自分に問いたい…。

他の奏者は楽譜を差し替えるだけ、私一人が琴の間をちょろちょろして
血相かえて走り回る。他のメンバーは、まさよさんがんばれ!って涼し
い顔してる。
ラフな演奏会の筈なのに、会場は静まりかえっているし。
なんでよ??ワイン飲んでご飯食べてるんじゃなかったっけ???
みんな私の行動注目。もう〜焦るあせる。
おまけに1回目の公演は、なんでかわからないけどマイクの音量
が小さかったから、だからお客さんも耳を済ましている。
やけくそで、2回目は思いっきり音量を上げてもらったら、気持
ちよく演奏できたし、自分的にもとっても気が楽になった。
それでもお客さん静かだったなあ。やっぱりjazzなんかとは違っ
て、日本の楽器って静かに聞かなくてはいけないみたいな囲気があるの
でしょうか?
別にしゃべってもいいんですけど…。



最後に質問コーナーがあってやっぱり聞かれた。
なんで毎回音変えているのですか?って。
事情を説明した上で、時間がかかってごめんなさいと言ったら、みんな
拍手してくれた。なんと素晴らしいお客様。
申し訳なくて、時間がなかったからマークがしきれなかったとはとても
言えなかった。ああまた深〜く反省。



「おひな祭り」

ニューヨークのジャパンソサイティーで、お雛祭りが行われました。
会場には立派な7段飾りのお雛様が飾られ、引きつめられた赤毛
氈が更に会場のの雰囲気を盛り上げ、ロビーでは甘酒や桜餅が振る舞わ
れました。
もしかしたら、最近日本でもなかなかこのようなイベントに出くわすこ
とは少ないのではないでしょうか?
子供の頃を思い出し懐かしさがこみ上げました!と同時に自分の歳を考
えて落ち込んだりして??

ここ外国ではお雛様を間近で見る機会も少ないせいもあってか、女の子
だけではなく男の子も沢山参加。またまたハーフのお子さんが多いこと
にびっくり。

うちの息子もにも見せようと主人が連れて来たのですが、大量のよだれ
を垂らしながらやっぱり口からお雛様に突進!!
主人が必死で防御。
おばか息子がもしやお雛様をぶっこわすのではないかと…. 子供
達に琴を見せながら、横目で母はハラハラドキドキ!




「腱鞘炎」

右手首が腱鞘炎になった。鉛筆を握るのもきついんです。琴の弾きすぎ
か?
の訳がないですねえ。
お子を抱っこしている時にねじったらしい。あわせ爪も痛くて出来な
い。2ヶ月以上ただ我慢していたが、生徒さんから注射がよく利
くと教えてもらったので、半信半疑でお医者さんに行ってみました。痛
い〜い注射を打ったらあらら3〜4日でうそのように痛みが
全くなくなりました。だったらもっと早く行けばよかったわ。
お琴の弾きすぎ、または子供の抱きすぎで腱鞘炎の方、注射が一番です。



「任天堂ゲーム」



去年の夏赤ん坊が産まれ、息子がうちに帰って来た日、フラフラでやった録音、
任天堂のゲーム“Red steel”が出来上がってきた。
(らしい?ゲームやらないのでよく知らないけど….)
琴、尺八の他に太鼓やちょっと奇妙な歌声も入っている。
日本の雰囲気は良く出ていると思うけれど、やっぱりアメリカ人が作る
音楽そのもの。彼らが思うところの日本の音楽って、ちっと違う気がす
る。いつも思うことは同じ。でもまあどうでもいいや…。



その40 2007年8月23日

お琴屋さん
沢井先生の内弟子時代から御世話になっているお琴屋さん、東京の高橋良知さんに、
糸締めのために10日間アメリカに来て頂きました。現在糸締めは2年に1回くらいの割
合でお願いしています。

ワシントンDCとニューヨークでその数49面。加えてニューヨークの友人の所で7面。
かなり強く締めてもらっているので、この道のプロといえども10日間で50面は大変な面数。
手が痛すぎてもう途中で糸締なんてやりたくなくなって、死んだふりされるかもしれない。
以前の経験から、お琴やさんが途中で拒否反応を起こすかもしれないことは合点承知して
います。その昔、2度と来ないと啖呵切って帰った人もいた。2度と頼まないからご心配なく。

途中で左手を見せてもらったら、糸が食い込んで手のひらが割れてしまって、もう原型が
なくなっていた。それを見て私ちょっとびびる。

が、幸い?楽器を購入したばかりとか、あまり練習してないのか?
糸が傷んでなくって今回糸締めの必要がない琴も出てきて、よしともさんはとっても嬉し
そうに「これまだ糸締めの必要ないよ〜〜」って。
相当手が痛んでいたようです。最終的にうちだけで40面ちょっとで済んだんですけどね。

去年だったか?命に関わる大病で手術をされたそうですが、すっかりお元気でひと安心。


日本好きの外国人っていつも頭に箸刺している...     琴屋のよしともさん、やっぱりかとちゃんぺーだって!

沢井先生の内弟子時代、当時バリバリの波乗りサーファーだったこの私を捕まえて、
17弦を運びながら「あれ〜まーちゃん、いま運んだのになんでまだここにいるの??」って。
そんな大きなサーファーがどこにいる?水に沈んでまうわ….。でも若さゆえちょっと横に
大きかった私….。
悲しい過去!!?

20年前から加藤茶に似ていたけど、年取ったらもっと似てきたかも。


日本からのお客様

ある晩、突然岡山からお電話。
その方はお琴を弾かれる方で、少し前からコンピューターを始められ、いつも私の日
本語版のHPを読んで下さっているとのこと。
お電話の内容は、今度コネチカット(ニューヨークの隣の州)に友人を訪ねて行くの
で、是非お目にかかりましょうと。
主人に話したら、会ってがっかりされるのが目に見えているからお断りした方が身の
為なんじゃないの〜って、本当に私もそう思った。
なにもこの場で恥をさらすこともなかろうと…が、これもなにかのご縁。
結局うちへお越し下さることに。

地元で一緒にお琴を弾かれるご友人と一緒にお越し下さり、それぞれの自己紹介に始
まって、日本での活動状況などのお話が聞けて楽しい時を過ごしました。
久しぶりに日本の邦楽事情が伺えて楽しかったです。この場を借りて改めてお礼申し
あげます。
毎年こちらにいらっしゃっているようですので、またお目に掛かりましょう!

いつも思うのですが、何事も隠したって最後まで隠し通せるものではない。
わたしはいまの素のままでお目にかかればいいんだ。と、単細胞の私はそうやってド
ツボにはまる。
みんなでアホな顔で写真とろう!ってやってみれば、私一人だけが本当にアホ面。ま
さよさんの顔凄いよねって〜ってか??おまえらみんな裏切り者だ〜〜!!
正直って何?
なんでも程度があるという事をこの歳になって学習。人間死ぬまで勉強。



長崎原爆式典

ニューヨークでも数年前から長崎原爆追悼式典が行われています。
が、不思議なことに殆ど日本人の参列者は見かけないんですよね。

会場の入り口には当時の悲惨な様子が写真で紹介されているのですが、その中にうち
の息子1才と同じくらいの赤ん坊が、たぶんおにいちゃんでしょう?おんぶされたま
ま焼けこげている写真もあり本当に胸が詰まりました。もう絶対に戦争は…。
そしてこの子達の親はその時どんな気持ちだったかと思うと、主人と共に絶句してし
まいました。

会場の式典では、広島からの被爆者の方が当時のお話をされ、音楽が演奏されたり。

昨年に引き続きシンガーソングライターの原田真二さんもイベントに参加されてお
り、今年は原田さんの曲を一緒に演奏させて頂きました。
ピアノ&唄、ご子息のドラム、琴、クワイヤー(唄)です。


                      原爆式典での演奏

生憎事前に全くリハーサルの時間が取れなかったので、ステージに上がってから原田
氏とにっこり笑って始めましていしぐれですみたいな…。
(ほんまかいな)

肝心の演奏。
事前に日本から音源を頂いていたので、ぶっつけでもなんとか大丈夫でしたけど。い
つも思っていますが、本番でマイク設置にゆっくりを時間が取れないのは、演奏者に
とってとてもきつい。どうしても他の楽器に負けてしまいますから。

料理の鉄人でおなじみ、和食の森本氏も広島のご出身だそうで、式典でお話しをされ
ました。残念ながら裏手にいて、何をお話しされたかよくきこえなかったんですが。

翌晩、マンハッタンで始められた“もりもと”での夕食会に参加。
なかなか私みたいな庶民は行く機会がないレストランです。


                             レストランもりもとで   原田さんと一緒に

まずは出てきたお料理を写真に撮ったりして、恥ずかしいこの上な
い?2度と口にするチャンスはないであろう、独創的なアイディア&素敵にアレンジ
された和食を味わって参りました。
横で原田さんはにっこり笑っていらっしゃいましたが……どう思って見てたか。




夏の演奏 inセントラルパーク2007

今年で3回目になる太鼓、琴、尺八の夏の演奏inセントラルパーク。大きな舞台はあ
るけれど日陰がないので、毎年見ているお客さんはちょっと大変。

琴は7人で参加しました。
半分お遊びといえども少しは事前に練習した方がいいよねと舞台から離れたところで
練習。
あっという間に人だかりになりリハって感じではない。
なんかみんな妙に緊張したりして。あんなに人がくるんだったら缶を置けばよかった
とあとから後悔。(見ていた人達が少しお金をいれてくれる)
地下鉄代、もしかしたらみんなのランチ代くらい出たかもと帰るまで言っていた私。


今年のさくらまつり 沢井比河流作曲の「夢の輪」が大好評でした   セントラルパークでの演奏ーあつかったわ〜〜!!

沢井先生の曲の他に、ちょっとばかり気が引けたがYesterdayを弾いた。
音程が悪かったり、音を間違ったりしたら誰にでもすぐに分かってしまうので、リハ
の後やめるか?っと思ったが、みんなと相談の結果、まあ折角だからと弾こうという
ことになって、やってみたらやっぱり有名な曲だけあって大人気でした。
琴本来の曲も大切だけど、取りあえず琴を知らない人にまずは興味を持ってもらわな
いことにはね。なのでよかったと思っています。



息子玲は13ヶ月半になりました。
彼は5ヶ月の時からこの道26年のシッターさんに見てもらっていますが、彼女にもあ
きれられるくらいの見事な「ぐずり屋」で、母親の私でも1日ずーっと一緒にいると
つらいかも。
コンピューターの前に座ればすかさず自分もキーボードを叩くと言って泣き叫び、自
力で椅子にはい上がってくる。(まあ、どこの子もこの位は一緒かとは思いますが)

彼が起きている間は、本当に何も出来ないですね。
子供のくせに昼寝もしないし、夜は毎晩12時1時にならないと寝ないし。
Mailなどとにかく雑用も少しづつはしないと思ってtryするのですが、膝の上で暴れ
ているのを押さえつけながらなもので、ひどい誤字&脱字、おまけに当て字のまま見
直さず送ってしまって、相手の人からちょっと内容がつかめないと言われておりま
す。すみません!!

そんな訳で当然日本語&英語共にWebサイトの更新もなかなか出来ず、廃業したの?
とか言われて、「いいえ、実はまだ細々とやっています…」と答える日々。

毎日こりゃたまらんと、夕食後はおもに主人がお世話係。
最近は10歩くらい歩けるようになって、おまけになんでも口に入れるので目が離せず
更に大変。
大切に保管してあった沢井琴曲院の会報も全部引っ張り出してきて、床でおもっちゃ
にし、びりびりを音を立てて破き、紙をせっせと食べる。
おまえはヤギか?

彼の中でのブームは、何でも指をさして返事を待つこと。
主人が一生懸命まじめに答えているんですが、よく聞いていれば「おかーさん」とか
「トード」とか答えているので??と思っていたら、好きで集めている色々な豚ちゃ
んのコレクッションを指さして、おか〜〜さん。
「はい君たち明日からごはんな〜〜し!!!」

とにかく元気な息子ですが、いまだに朝シッターさんの所へ連れて行くと大泣きされ
るんです。
どうにも可哀想でつられてこちらも涙がポロリ。あ〜なかなか大変です。

9月からまた演奏などで忙しくなります。
勿論それはそれで嬉しい反面、親の都合で寂しい思いをさせてしまっている息子の為
にも、悔いがないようにがんばりたいです。

その41
続く

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