その41 2007年11月28日 |
ジャパンファンデーションNew Yorkとジャマイカ日本大使館の後援により、ジャマイカの首都キングストン での演奏会に生徒のチャールズ君と尺八のジムさんと3人で行ってきました。 ジャマイカといえばレゲイ音楽で有名なところ。ジャマイカで琴の演奏会??? 人口の91%がアフリカ系で、ほとんどアジア系民族はいないそうです。 彼らからしてみたら日本ってどこ?って感じなんじゃないですかね。 有名なUCCコーヒーが豆を作っているくらいで、他に大きな企業もなし。 国際協力団体のジャイカがあるそうですが、大使館が認識している日本人はたったの200人。冗談みたい。 うちの息子(17ヶ月)にまだまだ手が掛かるので、ツアーはなんとか最短でと無理をお願いし、金曜日から 日曜日までの2泊3日。 その週のはじめには、別のコンサートのため1泊2日でノースキャロライナにも出かけたので、もうマジで目が まわった(目が据わってしまっていたというのが正しいのかも知れない)1週間でした。 出発の日 飛行機の時間が何度も変更になり、空港に着いたらまた出発時間が変わっていて、ジムさんに一体何時飛 行機は出るのか!と聞いたら、「まさよ落ち着いて、カリビアンタイムだから仕方がない、そのうち出る!」と 教えてくれました。 そんな馬鹿なぁ?? 1時半の予定で結局出たのは2時45分。彼の意見は正しかった。本当に誰も本当の出発時間は知らなかった から。私はこういう所では生きていけへんと思った…。 ニューヨークからは約3時間で到着。出発が遅れたこともあり、着いたらすっかり夜。 夜なのに汗が滲む。ニューヨークはとても寒かったので嬉しいけど。 仮設ビルかと思うような空港到着口。けどそのビルは仮ではないらしい事は帰りに判った。 着くなり大使館の方に一部の蚊はなんとか?っていう悪い病気をもっているので絶対に刺されないように呉々 も気をつけてください、と言われましたが、蚊に好かれるというO型の私その場で早速刺される。 「もう刺されました」と言ったら、大使館関係者の方々が一様に顔を引きつらせて「もし具合が悪くなったらすぐ に言って下さいよ」って。ジムさんもチャールズも引く。が、その後みんなどんどん刺される。ざまーである。夜 も遅いのでそのままホテルへ。 この機会に是非その土地の食べ物をと期待していたが、やはり夜は出歩かない方が良いと言われ、ホテル内 の日本食レストランへ。オーナーは日本人。こんなに日本人が少ないのにホテルの中に日本食レストランが あるのは凄い。 私とジムさんがなんたらという大きな魚のまる揚げを頼んだら、予想以上に大きいのが出てきて3人して大興奮。 ジムさんなんて子供のように大喜び。 あれはたしかに現地ならではの食材だったと思う。とっても美味しかった。 次の日 ホテルの中で毎年行われるインターナショナルフェスティバルで1曲演奏。 昼時ともなればまあ暑いのなんのって! 吹き出す汗、プールで泳いでる人いる横で、ジムとチャーリーはネクタイ締めて、さぞかし暑かったことでしょう。
広い場所でしたから勿論マイクを入れましたが、やはり操作する人が楽器に馴染みがないため、結構時間がかかった 割に音響がいまいち。マイクに関しては毎回イライラするところですね。 が、暑くて怒る元気も出ない。それでもCDを購入してくださる人もいて、それなりに日本音楽の宣伝効果はあったよう です。 その晩がメインのコンサート ジャマイカの政府関係者、大使館関係者、外交官とその家族、ジャマイカに在住している日本人の約300人が招待さ れました。コンサート会場は一瞬ジャマイカとは思えない程整備された伝統的建造物キングストンハウス。 空調設備がないので着物でなくてもよいと連絡を頂いていたので私は浴衣、彼らは作務衣。 現地人をよく知る大使館の方の判断で、あまりテンポの遅い曲は今回避けて下さいと指示があったので(レゲイ音楽が 中心な地域、無理もないですよね…)春の海、沢井忠夫先生の曲を中心に合計5曲演奏し ました。
尺八本曲はちときついのでは?と内心心配していたのですが、何でもやってみないとわからないもの。演奏の後多くの 人々が尺八に凄く興味を持ってジムさんは質問攻めに。おまけにジャマイカはで竹を育てていて日本へ輸出、話はこ れで終わらない。続きが凄い、その竹が尺八になるそうですよ。嘘のような本当の話です。 彼らの感覚にない音楽であったことは確かですが、それがかえってよかったのが、新しいジャンルとして受け入れられ たようでした。 次の日、観光 すっごく驚きましたが、ぬぁ〜〜んとジャマイカの人はコーヒーをあまり飲まないそうです。100%ピュアーなジャマイカ コーヒーを東京で飲 むと一杯1000円くらいすると大使館の方がおっしゃっていましたが、現地の多くの人はペパーミ ントティーがお好きらしいですよ。ジャマイカはイギリスの植民地だったので、まあわからないでもないのですが、折角 だったら本場のコーヒー飲めばいいのに、とつい余計なお節介。 現地で飲んだらただの隣くらいの値段で飲めるのかと思ったらとても高い。それも驚き。 大使館の方のお心使いで、ストロベリーヒルという大変見晴らしの良い、有名なコーヒー農園を見下ろせる観光地に 連れて行って頂きました。そちらでジャマイカコーヒーをいただきましたが、美味しいこと! が、そこで気付いたのですが、私ってどうやらその日にはじめてジャマイカコーヒー飲んだみたい。いま までの人生で味わった事のない味だっかたら。 じゃあ〜〜いままでどんなコーヒー飲んでいたのか自分でもよく分からないけど。
車で山に上がって行く途中、数人の4〜5才の子供達が靴も履かずによたよたと歩いていましたので、一体何をしている のかと聞いたら彼らの家には水道がないので、山の清水を汲みに20分くらいかけて水汲みをするのが彼らの仕事だと。 あんな小さい子が、重い水を持って日に何度も往復するなんて、なんだか可哀想で、 つい自分の息子とだぶって考えてしまう。 当然無理な事だけど、彼らの家に水道を引いてあげられたらと強く思った。 ジャマイカのお金をアメリカドルに換金しようと空港で窓口に行ったところ、今日のドルは残り30ドルしかないと。手元に もっと持っていたので、もうここに来ることはないだろうから換金しないと困ると いったら、だったらユーロはいかがですか?とか。だからユーロもいらないんだってば!! 仕方がなく日本円だったら交換してもいいと言ったら、引き出しから1万円札をたった1枚だけ出してきて「これって円?」 と聞かれた。「それでいい!!」と言ったら、このお札しかないと。 ジャマイカドルは日本円で6500円分くらいしかなかったので、もうどうにもならない。 空港の換金所で大喧嘩になりそうになった時、遠くから見ていたらチャールズが助っ人に来てくれて、残りのジャマイカ ドルに手持ちのUSドルを足して日本円の1万円にしたらどうかと提案。素晴らしいアイディアに換金所のねえちゃんと感 心した。3人いれば文殊の知恵とはよく言ったものである。 帰りも同じくそこそこの時間に飛行機は出発し、10時に着くはずがニューヨークに11時半に空港到着。とにかく帰って来 られたからいいわ。文句言いっこなしね。 次の日、朝起きてから息子が私から離れようとしない。また手を離すとお母さんがいなくなると思っているみたいで。一人 なら1分で出来ることが一緒だと10分かかる、非常にまずい日常生活を送っております(笑) やっぱり難しい英語 いま3人の子供達がお琴の御稽古に来ていますが、みんなアメリカ生まれ。 勿論日本語と英語を話し、子供達同士はいつも英語で話しているので英語の方がきっと楽なのかな〜と思って、御稽古 の時に簡単な単語などは英語で言っていたら、一番年上のおにいちゃんが優しい声で「あのね先生、日本語で言ってく れない?」ですって….。子供に言われるとどうしてかみょ〜に恥ずかしい。 「あたしの英語ってそんなに変?」って聞いたらにっこり笑っていた。なんと優しい子でしょうね。 私もアメリカに来て16年目、流石にたまには単語が英語になったりもするのですが、それを子供達がすかさずキャッチし て繰り返して言うんですよぁ。聞いてないふりして、ちゃんと聞いている。あぁなんか恥ずかしい。がんばってもっと英語勉 強しよっかなぁ…(そう思って16年) 今後の予定 来年2月にマンハッタンで、久しぶりに小さなリサイタルを予定しています。 子供を抱くことで両手首を痛め、過去にすでにステロイドの注射を2回。もうこれ以上ステロイドは打てないと医者に言わ れどうすることも出来ず。 このところ痛みが増し、右手手首は常に"だるやめ"状態。どんどん悪くなっていて字を書くのがつらい。 左手の親指辺りもやられていて、かけおしが痛くて出来ない。 いまは追われる生活で、精神的にも非常につらい時ではありますが、早くから決めていた会なのでやるしかないですね。 まあ人生こんな時もあろう、できる範囲で頑張ります。 今年のさくら祭りで演奏し大好評だった沢井比可流作曲の"夢の輪"を最後に12名程で演奏します。 |
その42 2008年4月22日 |
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