ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その34 2005年9月6日

映画音楽の録音
映画「さゆり」の録音が終わった。
いままでの生きてきた中で、たぶん?一番緊張した4日間だったかもしれないです。
間違いなくそうだろうと思う。

作曲は映画音楽の巨匠といわれるジョン ウイリアム氏(代表作はET、ジュラシック
パーク、スターウォーズ等)、ゲストとしてバイオリンソロにイザック パールマン氏、
チェロソロにヨーヨーマ氏。次に琴の石榑雅代です。まじ笑えます。
こんなの絶対にありえな〜〜い。はぁはぁあ〜〜!笑いすぎてァー腹が痛い。



左 ジョン氏と             右  駐車場もお隣でした


録音当日の予定が書き込んである紙が全員に渡されているのですが、そこに自分の名
前が載っている事だけでこっぱずかしく.....。なんだか居場所がないソワソワした感じ。
こんな風に思うところが日本人なのかもしれない。
これがもしアメリカ人だったら、自分が選ばれ此処にいて当然で、わざわざ来てやっ
ているくらいに思う人もいるかも知れない。(あくまでも一般的な見解ですけど)

6月始めにこのお話しを頂き、その後作曲家から楽譜が届き先週の録音が終わるまで、
寝ても起きても、意味もなく緊張のしっぱなしでした。
実はそんなに琴の出番はなかったとはいえ、緊張の理由はまずフルオーケストラと一
緒だということ、適当に振っているとしか思えないダンス的な指揮についていけるの
だろうかとか。聞けば練習なしで、そのまま録音に入るのが常識らしい.....。
みんなプロなんだから、そんなの当然と言われてしまった。

邦楽の世界って、沢山合奏の練習するじゃないですか〜〜!それに慣れている私は、
もう不安材料が増え、腰が引ける。心配してもしゃ〜ない事ばっかりなのに...。

が、終わってみてよくわかったけど、一番きつかったのは、休みが多すぎて小節を数
えるのに必死だったことかも。もう手も足も使って数えました。
ず〜〜っと休みでいきなり弾くところがあるのは実にきつい。
で、まばたきしている間にあらら.....迷子。
といって、弾くところがめっちゃ沢山あったらそれはそれでまた緊張でしょうけど。


左 録音会場           右 当然休憩時間もひとりで練習....


関係者の方から、映画音楽の録音は途中で色々と変更があるので、そのつど指示を受
けるようにといわれていました。
五線譜から糸譜に直す作業がある為事前に楽譜を貰っていたのですが、その後いつの
間にか編成が大幅に変わったようで、結局貰っていた楽譜の3分の1になっていました。
半分ホットしたような、ちょっと残念......複雑な気持ち。

いままでにフルオーケストラとの共演は数年前に1度経験があるだけで、お恥ずかし
いのですが ”未知の世界”
おまけに目の前にはあのヨーヨーさんとパールマンさんが座っているし、もう頭の中
はパニック!!
ヨーヨーさんは噂通りとても気さくで、後ろで岩のように固まっている私に何度も笑
いながら話し掛けてくださり、それは天に舞上るくらい嬉しかったのだが、これまた
緊張しちゃってお返事の声が出ない。柄にもなく蚊の鳴くような声しか...。


た.ぶ.ん50才くらいだとお聞きしたが、子供の様に明るく、一人で冗談を飛ばしてい
らっしゃる。後ろを振り返ってみんなにニコニコ笑顔を振りまいて、あの〜〜もう演
奏始まってますけど...みたいな時でも、自分の出番がくるといきなり人が変わった
ように、すんばらしい音を奏でて。
息をするのも忘れるくらい、もしかして穴があいてしまうのではないかと思うくらい、
斜め後ろからじ〜〜〜〜っと演奏を拝見しました。


見に来ていた子供に、チェロの弾き方を教えるヨーヨーマ氏


手を延ばせば肩に手が届く程の場所から演奏を聴かせていただきながら、ヨーヨーさ
んはハーバードでは何をお勉強していらっしゃたのかな?なんてつい余計な事を考え
たり。
まさに私は誰、ここはどこ? この言葉ってこういう時に使うと思う。
とにかく世は満足でございます。

ただ一つだけ残念に思ったことがあります。
日本国内だけではなく、この所アメリカでも津軽三味線がちょっとしたブームだとい
う事は、みなさんも良くご存知ですよね。
ニューヨークと言う場所は、人種の数と同じだけそれぞれの国の文化も一緒に存在し
てます。
その中で日本の音楽が(例えばそれは琴であったり尺八、津軽三味線であったりしま
すが)実際のところ、一体どれだけの人に認識されているのだろうかと...。

私は東海岸を中心に良く演奏の機会を頂くのですが、その中で残念ながら琴や三味線
を知っている人は、いまでもほんの一握り。(だと思う)
勿論以前に比べて楽器の知名度が上げっていることは確かですが、それは昔と比べた
ら単にベターというだけの話し。
私的には楽器を紹介をできる嬉しさはありますが、それと同時に正直なところ「これ
では、まだまだダメだ〜〜!」という気持ちの両方です。自分的にはかなり複雑なん
です。

今回も作曲者であるジョン氏も、琴という楽器は知っていても実際見たことがなかっ
たので、果たしてどんなテクニックが可能で、どんな音が作れるのかとかなり苦心さ
れたご様子。

同じアメリカ国内とはいえ、飛行機で6時間もかかる西海岸と東海岸では、曲につい
て何度も頻繁に直接会って打ち合わせをすることも不可能。
それに琴のパートだけを考えているわけではないし。

そうですね、10年後のニューヨーク、道でも地下鉄でも誰からも「あら、これって日
本の楽器よね?」と言ってもらえたらと思う。
そうしたら、ここで行われれいる各種日本楽器の演奏会に足を運んでくださる人も更
に増えるでしょうし。


先日マンハッタンのダウンタウンで、10年ぶりに”日本のお祭りが”復活し開催され
ました。
通りには着物やさんや、レストランのお寿司屋さん、日本の雑貨類、陶器など色々
なお店がでます。



闘魂のはちまきで気合い?1日中熱心に三味線を教えた生徒のピーター君 



数年前のテロ事件から大きなイベントが控えられていたので、みんながこのお祭りを
心待ちにしていたと思います。
今回来ている人を見て感じたのは、国際結婚のご夫婦、ハーフのお子さんが増えてき
たみたいです。
最近よく国際結婚の方から、お式での琴の演奏を頼まれるんですよね。



左  子供も難しい三味線にトライ
右  日本人のあんちゃんー少し弾けるようになったとご機嫌


お祭りでは舞台での演奏ではなく、ブースでお客さんに琴と三味線の体験演奏をして
貰いました。
実はブースを持つこと自体始めての経験で、始めは誰も来なかったら主人にさくらに
なってもらおうとか色々考えていたのですが、まあ〜大勢の人が来てくれました。
特に小さなお子さんが弾く”きらきら星”が大好評。


舞台の上からだけではなく、演奏者が楽器と一緒に下に降りて、琴や三味線に興味の
ある
人と会話をし、日本音楽ファンを増やしていくのが、現地に住んでいる私達の役割だ
と思っています。
自分&日本音楽が置かれている状況をしっかり把握しながら、活動を続けられるのは、
地道ではあるけど、それはそれで良いことなのかなってね。
もち、それは口で言うほど簡単じゃないけど、とにかくがんばりたいです!
逆に良いところしか見えてないのは、ちょっと怖いかも?とちょっと思う。


左  いまキラキラ星弾いてま〜す             右  男性も初めて挑戦



今回の映画の音楽に参加できた事が自分にとって最高&最後と思わず(実はそう思っ
ているところが情けないなぁ)次のチャンスに向かって、更にさらにがんばっていく
気持ちで溢れています。

主人が毎朝聞く。”まさよさん、今後の目標は??”
ああ〜残念なことだが、一晩寝ると忘れちゃうかも(笑)



その35 2006年2月27日

楽しかったタイ公演

  ぞうさんの背中って大き〜い                          水上での生活


1992年9月、私を含めて同時に3人が海外インストラクター
として日本を離れました。

坪井紀子さんがカリフォルニア大学サンディエゴ校、日影晶子さんはハ
ワイ大学へ、そして私がウエスリアン大学。それから早いもので14年
の年月が過ぎ、坪井さんはサンディエゴで知り合ったタイ人の方と結婚
し現在タイのバンコク在住。

日影さんは飛びぬけて早く結婚し、日本人のご主人とサンフランシスコ
に引っ越した後、夫婦2人でお寿司屋さんを経営、2足のわらじでがん
ばっています。

昨年7月に坪井さんからの連絡で、12月の初めに国際交流基金の後援
でタイコンサートツアーの機会をいただいたので是非参加して欲しいと
誘いを受けました。

数年前になりますが、丁度彼女の結婚式の前に手術を受け出席できず、
もうタイとは縁がないな〜っと思っていたところだったので2つ返事で
OK。

11月の末にアメリカを出発、実家に2泊してタイへ。しかし出発
の前日に発熱。時間ぎりぎりに空港へ。タイとはやっぱり何かあるみた
い。名古屋から5時間のフライト。到着するなり空港でムカツクことが
起きた。

実家に置いてある琴を1面持っていったのですが、日本にはフライト
ケースがないので琴専用のダンボールに入れて持っていたところ、タイ
の空港税関でひっかかってしまった。この税関の親父がうさんくさいだ
けに違いないと、一か八かで違う係員のところに並んでなんとか通り抜
けようと試したが思いっきり失敗。荷物ごと特別な場所に送られる。
中身は新品ではなく日本に持って帰るのだと何度説明しても全く聞く耳
を持たない係員。

体調が悪かったことも忘れ切れまくる私。死んでも税金など払ってなる
ものかと、最後には日本航空の係員さんを連れてきて一緒に文句を言っ
てもらうが、その人めっちゃ気が弱そう。ボケカス!ぜんぜんつかえね
え!!!

最終的に箱を空けて中身を無理やり見せたら、あちらももうどうでもよ
いと思ったか「ふ〜〜ん」で終わり。いつも思うけど、本当にこんな人
達って一体何者?

後から他のメンバーと話した結果、箱っていかにも新品が入っているっ
ぽくってよくない、係員の目にも付きやすいので良くないのでは、と。
ちなみにフライトケースは黒色で目立たないから大丈夫なのだろうか?

サンフランシスコの日影さんと、同じく沢井のメンバーで現在ニュー
ヨーク郊外に在住の水谷さんは、今回コンサートの合間を縫って行うレ
コーディング曲の練習のため、私よりも5日早くタイに到着していた。
みんな内弟子時代の仲間。この日影さんっていうのがちょっと面白い
子で、どこへいくにもいつもジャージーの上下にマスク。
巷でもた しかにジャージーがいま流行ってはいるけど、彼女が着ると
何かちょっと違う。

太っている私も悲しいものがあるが、彼女の場合痩せすぎていて服がダ
ボダボで本当にヘン。しかし本人は流行のスタイルだという。まあどう
でもいい。

最後に面白い人がやってきた。東京から来た尺八の元永拓ちゃんであ
る。えらい細身の長身でいままでの私が知っている尺八演奏者って感じ
じゃない。黒のロングコートを肩から羽織り、颯爽と登場した。そして
片時も離さないシルバーのジェラルミンケース。もちろん中には尺八が
入っているそうな。聞けば帰国子女で英語も堪能。この彼がツアーの最
後になって面白いちょっとした小騒ぎを起こしてくれました(笑)(後
述)

今回折角面子が集まったので、私以外のメンバーでCDを作ろうと
いうことになっていて(私はアメリカで3枚目のCDを製作中、心
の余裕がないのでお手伝い演奏で参加)早速録音の練習が始まった。

練習って妙にお気軽にできるんだけど、いざ「ローリング」と声がかか
るとみんな顔がこわばって手が震えているようにも見える。いつも私も
音を出すのが怖くて仕方がない。

ニューヨークで録音しているときだった。いつも一緒に演奏してくれる
生徒のチャールズ君がボソッと言った言葉を思い出した。「僕、怖いか
ら小さい音で弾くことにする...」

思わず「じゃあ、私もそうする…」と言いそうになったが、一応
「NO~~!!」といっておいた。

人数が多くなればなるほど、録音って時間とお金がかかりますよね。間
違えずに1度でさらっと弾いてみたいもの…?!

彼女達はピアソラなどの洋曲を琴に直ししたもの等、メッチャ難しそう
な曲を練習していたが、幸い関係ない私はこの世天国で尺八の元永氏と
一緒に観光&生まれて初めてタイ式マッサージへ。タイマッサー ジって
日本でも人気があるそうですが、たしかに気持ちがいいですね。
それに安いし。日影さんと水谷さんはまた来年タイに来て、マッサージ
師の免許を取ってアメリカで店開くって。ほんまかいな??

寒い日本から、暑すぎないタイに大満足。街中にあるものなんでも安い
から、すべて私でも手の届く範囲である。食事も日本人の口によく合う
味付け。屋台の食事代金はタダの隣。でも口にするのはちょっと勇気が
いるらしい。すっかりタイ人みたいになった坪井さんでも過去に何度も
下痢を経験しているらしい。屋台に毛が生えたような感じではあるけ
ど、安食堂の食事はとても安くておいしかった。


チェンマイ名物 タイ風カレーうどんと餅米+野沢菜 お いしかったです。


街中どこでも見かける食堂 本当に安くておいしい!  



 豪快な調理場??


録音の半分を終え、いよいよコンサートの日になりました。

バンコクと、タイの京都と呼ばれている(かどうかよく知んないけど日本
の京都にあたるらしい)チェンマイでの2公演。バンコクの演奏会に
は坪井さんの生徒さん3名も加わり、タイの人も大好きだという日本で
流行している「花」とタイの曲も入れました。

もちろんここでも楽器屋さんがいる訳ではないので、いつも通り自分達
で舞台進行もするのですが、お手伝いの方々とコミュニケーションが取
れずこれまたなかなか大変。やって見せての繰り返し。現在のタイでは
まだ日本の楽器がそれほど知名度があるとは思えないのですが、多くの
方が来て下さいました。

余談ですが、日本人留学生が一番多いのはアメリカを抜いてタイなんだ
そうです。日本について勉強している人も多く、流暢に日本語を話す人
が沢山いたのには驚きました。

今回の演奏会の為に坪井さんが、みんなお揃いで衣装を揃えてくれたの
ですが、2枚とも腕がにょっきり出るデザイン。私にとって一番ヤバい
デザイン。他の4人は揃って極細。前にも書きましたが、私は「昔はア
メフトでもやってましたか?」と聞かれた腕の持ち主である。サーフィ
ンをやっていたからだと思いますと答える事にしている。
流石に女でアメフトはねえだろう…。

思いっきり引き立て役だ!お客さんも見たくないと思いながらも、きっ
と私の腕で一瞬目が止まったに違いない。

日頃からお世話になっている大阪のふじせ楽器さんがご夫婦で演奏会と
観光を兼ねていらしていたのですが、「まーちゃん、ええ腕しとった
わ」って。

衣装の製作を頼んでいたタイ人が、なんと屋台の食べ物にあたって3日
間も入院していたらしく(タイ人でもあたるみたい...)始めて衣装
を見たのが本番当日。演奏よりもちゃんと体が布地に収まるかどうか心
配で仕方がなかったです。



どれが私がわかりますよね?短くて太い〜〜!


今時ちょっと驚きのトイレ



タイ風の綿菓子らしい....金髪にしか見えない私

チェンマイでの演奏も無事に終わり最終日の夜。タイダンスを見ながら
お食事ができる大きなレストランで夕食を終え、お買い物ができる夜店
があるというので、いよいよお待ちかねの買い物タ〜イム。そこは凄い
人で、運が悪ければスリなどの犯罪に巻き込まれそうな雰囲気。見事に
予想的中??

元永君と安いスカーフを見つけて二人で値切りまくってご機嫌の私達。
直後、明日帰る予定の彼、カバンにサイフとパスポートがないと言いだ
した。入っている筈の場所、たしかにチャックが開きっぱなしだった。
一瞬にして暑い筈のタイに寒い空気が流れた。全員足が震えた。スリに
あった人から聞いたことがあるのですが、現金だけ抜き取ったら財布は
ゴミ箱に捨ててあったと。もしかしてそこらのゴミ箱に捨てられてはい
ないかと私と日影さんと二人でゴミ箱あさりに行っているうちに、今度
は他の人たちとはぐれて迷子に。滞在しているホテルの名前さえも知ら
ない。もう本当にパニック。

いい加減経ってから坪井さんの携帯の番号が控えてあった事を思い出
し、人のよさそうなタイ人を捕まえて頼みこんで携帯を借りる。もう感
謝感激で持っているだけのコインを渡した。

ニューヨークの私の生徒スティーブンが休みを利用して一緒に観光に来
ていたのですが、私たちが買い物をしている間のビデオを撮っていたと
いうので、みんなでそのビデオを見直すが、もう人が多すぎて一体何処
でなにが起きたかなんて全く把握できない。

慰める言葉も見つからず何気に「ホテルに置いてきたってことはな
い?」との問いかけに、ご本人あ!もしかして?と。

急いでホテルに戻り、全員で彼の部屋へ。神様、仏様である。
大金が入っているという大事なおサイフとパスポートがジェラルミン
ケースから出てきた。

今回私達をご招待してくださった、国際交流基金タイ所長内田さんの一
声で「さあパーティー、何でも食べたいもの注文して、チェンマイにあ
るものはみんなで全部食べてって。」

元永君ご馳走様でした。おいしかったです。



左 民族衣装を着て観光客との記念撮影をお仕事とする子供達      右 タイ交流基金所長内田さん、日影さんによる世にも不思議なタイ ダンス....?



1. 日本では自分の洋服のサイズがLサイズだと言う事に気づいてし
まったこと。

妹が「かわいそう....」って。 できればそっとしておいて欲しい。

そういえばタイの所長さんにも、ポスターに使っているこの写真は何年
前に撮ったものですか?と聞かれた….。はい、もう忘れたくらい古いっす。

2. 今回10年ぶりに冬に帰ってきたのですが、恐ろしく家の中が寒い!

外と殆ど気温が変らないのでは?アメリカでは通常建物の中は暖房がよ
く利いていて暖かい。

3. アメリカでは結婚前の苗字で通しているので、今の自分の名前(徳江)
を呼ばれてもゼンゼンピンとこない。いしぐれは岐阜に多い苗字。

帰国の度に行っている歯医者さんは家の近所。看護婦さんが「いしぐれ
さんどうぞお入りください」というと、待合室の4人が一緒に立ち上
がって顔を見合わせる。どのイシグレさんかわからない。私もそのうち
の一人。でも私は良く考えると今はもういしぐれではなく、徳江さん
だった。まだどうも新しい名前に慣れない。

4. 名古屋空港の切符売り場の窓口ではえらくでかい態度のおっさん客
を見た。なんの理由、権利があってあんなに威張っているのか?

本当の紳士ほど親切で穏やかな人が多いのではないかと思うけど。
あと日本ではどれだけ重い荷物を持っていても、誰一人手伝ってくれる
様子もなし。
アメリカでは考えられない。間違いなく親切な人が多いと思う。

5. いつのまにかお札の柄が変っていたので驚いた。古いデザインのお
札を沢山持っていたので、まだ使えるのかどうかわからずドキドキした。

6. モンブランケーキってありますよね。

アメリカ人のパーティーに呼ばれてお土産に持っていったら、そこの家
の子供4歳くらいだと思うけど、「そばヌードルがケーキの上にのって
る。めっちゃきもちわるい!」と叫んでいる。本当にソバだと思ったの
か、誰も手をつけず捨てたらしい。一体幾らしたと思っているんだ。
あ〜もったいない。誰も食べないのなら持って帰りたかった…。




7. 12月半ばタイから戻って、暇つぶしにコレステロール値でも
検査しにいきましょっと思いお医者さんに行ったところ、ぬあんと妊娠
が判明。しかし全く気づかずタイに出かけたり自転車で走り回っていた
無理がたたり、診断結果は深刻な流産の危険。自宅で絶対安静となっ
た。先生の「年齢的にもこの赤ちゃん大事にしたほうがいいんじゃない
の?」の言葉に日頃横着な私もびびり。たしかにもう後はないかもしれ
ない。(こればかりは誰にもわからないけど)

父なんて、介護保険の支払い義務開始と妊娠判明が同じ時期だと笑う。

年末から徐々につわりがひどくなり、この2ヶ月毎日吐きまくり。
お医者さんにはひどい方だと言われる。
今まだ日本で地獄の毎日を送っている。ここ数週間、殆ど何も食べら
れるものがない。
折角日本にいるというのに、残念極まりない。
間もなくアメリカに戻る予定ですが、今の大きな悩みはつわりが終わら
ないまま12時間の飛行機大丈夫かなあ??

P.S. 3日前に無事にアメリカに戻って参りました。




その36 2006年5月23日

なんとか終わった演奏....


ボストン モダンオーケストラ オブ プロジェクト という組織から、今年3月の定期演
奏会で演奏予定の、ヘンリー・カオ氏が1940年代に作曲した「琴 コンチェルト」の
ソリストを捜していると連絡が入りました。

どこの地でも、なかなかフルオーケストラと共演させてもらえる機会なんてのはない
のですから、昨年11月にお話を頂いた時に是非やらせてほしいと 返事をしてあった
けど、年を越しても全く連絡が無かったので、ちぇ!キャンセルされた か!!!
ちょ〜〜残念と思っていたのですが、今年2月中頃になって今度はディレク ター
本人から直接mailが来て、3月10日に出来ますか?と。
今ってもう2月ですよね?
ディレクターからのmailを受け取った時、私は日本で“つわ り”の真っ最中。
毎日世の中がグレー色だった。しつこいがほんとうに苦しかった…。
それでもやりたい気持ちに変わりはなく、家族の心配、反対をよそに早速楽譜を
送ってもらってまずは楽譜を見てみることに。
楽譜を見た限り、短い間時間でもなんとかなりそう、と一瞬思ったのが 苦労の始まり!

曲は3楽章の構成。取りあえず糸譜に直す作業を始めてみて、なんだこりゃ??
もうどう転調してもとてもじゃないけど、13弦では無理。何度も出てくるグリッサンドに、
音が18〜25個入っている。おまけに楽譜はめっちゃ汚い手書きで、どこがドだかシ
だかわからなく 歪んでいて、とにかく糸譜に直す作業に時間が掛かりすぎる。

それでも2楽章と3楽章は、転調することでなんとか弾ける ことがわかったが、結果的
に3楽章は13本すべての糸にマーク3つづつ。
2楽章は8本の糸にマーク2つづつ必要とわかった。それだけでも、結構大変でしょうに。

これだけマークがあると、転調の時に間違えて動かしたりでもしたら…?
恐ろしくて同じ楽器では危なっかしてくって弾けないと、まず楽器が 2面以上必要な
のがわかった。
と同時に心配になったのが、この身重の身体でボストンまで電車で琴 2面も持ってい
けるかなってこと。流石に一人で電車で2面持っていったことは 今までに無いから。

問題は1楽章。何度も見直して絶対に1楽章は演奏不可能と 判断(っていうか、正直な
ところもう楽譜を見るのもいやになった。よけいに吐きそうになっ た)。すぐにディレクター
と連絡を取り、過去にこの曲を演奏した人がいるかどうかと尋 ねたらいた。
マジか....どうやって?

1964年頃に確かにK.Eさんがニューヨークで初演。早速音源を取 り寄せもらうように
頼んだが、これまた小難しい手続きが必要で、届くまでにたいそう時間 がかかった。
2週間もかかってようやく日本に送られてきたのは音が伸びきったテー プ。
これじゃ、よ〜うわからんちゅうの。

2、3楽章は問題ないみたい。1楽章が本当のところどうな のかと思って興味深々で聴
いていると、その時に演奏されているものと、私が持っている楽譜はど うやら違うみたい。
だから、もう何がどうなっているのか訳がわからず、まず基本的 に糸譜にするのが無理
なんだから、演奏は無理だと返事をした。

ディレクターは、何が不可能なのかがわからないと言っている。お願い だからわかって!
って感じ。
確かに楽譜を見ただけだったら、普通の人はそう思うのが当たり前で しょう。
琴の仕組みがわかってない人に、これを英語で説明するのは、その時の 私にはいつも
以上に大変だった。

そこで、ボストン在住で数年前からお琴の曲も作曲している日本人の方 に連絡をとり、
代わりに事細かに説明してもらいようやく彼も納得。
1楽章は今回やらないことになった。よっしゃ、そうこなくっちゃ。

毎日吐きながらの練習が続いた。流石にすぐ横にいた母親も心配してい たが、とにか
く時間がない+やるしかない。お腹も子もきっとこの状況をわかってくれると信じてがむ
しゃらに頑張った。

つわりが少し収まったので、いよいよアメリカに戻ることに。本番まであと1週間。
本当のところ、なにがなんでも帰らねば… であった。食べられない日が2か月近くも続い
て5キロ痩せたら、かえって身体が楽になってよかったかも?
ひとりで13時間の長旅。やっと取れた飛行機の予約。飛行機はほ ぼ満席らしい。
母が一緒に送って行くと言って聞かなかったが、またすぐ産後に来ても らわないといけ
ないし、かえって足手まといになる可能性も高いとの妹の忠告で 彼女泣く泣く諦める。

なんとも運が良かった。飛行機の中では気分が悪くなることもなく、隣 の席も無理を
言って空けてもらった。JFKに着いたら車椅子まで準備されてい ると言われてちょっと
引く。自分で歩けますと丁寧にお断りした。流石の手回しだけど、つわりで車いすまでは
......ね!

気が張っていたせいか、本番までは気分も良くボストンに出かけた。重い荷物とたった
1面の琴がいままで以上に大変に感じる。もう 1面はボストン在住の生徒さんに借りるこ
とに。
しかしまた困ったことが起きた。練習時など楽器はすべて自分で動かす はめに。絶対
に無理をせず、楽器の移動などは必ず他の人に手伝ってもらうように主 人とも堅く約束
をしていたが、常識的に良く考えれば、オケの彼らが人の楽器に触る などということは
絶対にありえない。リハもホテルへの移動もすべて自分でやった...。

日本で3ヶ月間家でじ〜〜っとしていたこともあり、ちょっと動くだけでめまいと動悸が
激しい。自分の身体だけど、もう全くコントロールがきかない。完全に終わっていない
つわりのせいで、気分も悪い。お腹もシクシク痛む。夜になるの を待って旦那に電話。
彼もオロオロ。時差ぼけで朝4時前に目が覚める。もう 流石の私も泣きそうになった。

2日間のリハを終え、本番となった。評判のいいニューイングランドコ ンサバトリーの
会場だけあり、音響に助けられ気分良くできたみたい。お客さんもこ の手の音楽は
聞き慣れている感じ。流石ボストンかな?!

とても地獄の日々があったとは思えない聞き映えのしない曲。はっきり 言ってやりがい
がない…かも。なんちゃって、贅沢が言えることでないっす。
来年2月には沢井忠夫作曲“鳥のように”オーケストラバージョ ンの演奏が決まった。
こちらは演奏者も張り切れる曲ですよね。いまから楽しみです。


三味線デモンストレーション


    DCのエスカレーターってなんで              産まれて8か月のパンダの赤ちゃん、人気者です。
    こんなに 長いんでしょうか?

現在ワシントンDCのスミソニアン美術館で、北斎展が開かれてい ます。この時期の
ワシントンDCは、ポトマック川沿いに植えられた1000本の桜 が満開となり、学校の
春休みも重なり美術館を訪れる人数は相当です。

生徒さんの一人がスミソニアンで仕事しているのですが、北斎展に向け て太鼓と三味
線のデモンストレーションを予定しているので、三味線を担当してくれ ないかと彼女
から連絡がありました。いつの時もデモンストレーションときいて最初 にビビるのが、
人前で英語(日本語も一緒)で話すってこと。
友達と馬鹿話はいくらでも出来るのですが、どうも人の前で正式に話し をするのが苦手。
義理の妹の結婚式で支離滅裂+落ちなしの“チャランポラン“なお祝い の言葉。だか
らしゃべりたくないと言ったのに…。主人と彼の両親に恥をかかせた。どんどんトラウマ
になっていっている。

しかし逆に言えば、今回上手くできたら長年のこの苦しみから抜け出せ るかもしれな
いし。それと8回分のレクチャーの予算を聞いて2つ返事で 「はい、やります」。
8月には赤ちゃんも産まれる。それまではがんばって仕事せにあ〜〜!!

といっても、すべてを一人でやれるほどの英語力はどこにもなし。一人 アシスタント
が付いてくれることになった。小難しい三味線の歴史や曲の説明は彼女 にしてもらい
私は楽器の説明や唄の歌い方など細かい話をすることにした。

 結構沢山のお客さんが来たな〜〜  


私の前に約2週間、ロスから来ているケニー遠藤さんという日系 人の太鼓演奏家がデモン
ストレーションをやっていた。
そのデモンストレーション最終日の翌日に太鼓の演奏会があり、私もゲ ストとして呼ばれた。
ケニーさんとは渡米当時からの知り合いで、ニューヨークで何 度も一緒に演奏した仲。

太鼓の演奏には120人以上の人がやってきた。勿論全員が最後ま で座って聞いていく
訳ではないがとにかく凄い人数。それを見て思わず足がすくむ….。
こんなに来るの?あたしって…ほんとにできるのかなあ??太鼓の話を聞く余裕なんか
どこにもなく、明日からの自分の事で頭が いっぱいになる。

当日。
げえ!沢山人がいる〜〜!びびりまんたろう

ゆっくりと落ち着いて話せば、ぶっ壊れた英語でも理解してもらえるか ら心配ない。
私は日本人なんだから許される。流暢にぺらぺら話しては、可愛げがないではないか?

どんな話が喜ばれるのか、全くわからないまま思いつくことをしてみ た。思いがけずウケ
たのが、地唄スタイルの歌い方。適当な言葉を選んで“あたり”を つけてみんなで一緒に
唄ってみる。


        常に笑顔を忘れず??                               楽器に興味津々 

お客さんみんなが大声を張り上げて大喜び。客参加形式が受けるようだ。
日本ではなかなかこうはいかないのでしょうが。アシスタントの子の声が一番でかい。
彼女は何かと協力的である。   
精神的には大変な8日間だったが、良い経験になりました。


桜祭り


    自分の琴はなんでも自分でやろう!             子供は舞台に出るだけで可愛い

毎年恒例の桜祭りが終わった。参加グループのほとんどが自己満足の世界だが、それ
でみんなが楽しければいいじゃん!と、最近は思っている。
うちも去年より参加人数が少ないとはいえ、大きな場所での演奏は楽器の移動だけでも
かなり大変。私のお腹も少しづつ重くなってきているので、無理をせず自分の事はみんな
自分でやってもらう。ただし着付け以外。
男性の参加者が8人ほどいたが、袴の着せ方がよくわからず時間もないし最後はもう適当。



野郎共は、何度言ってもなかなか言うことを聞かない。
長襦袢と足袋は必ず洗っておくように言っても、去年からどうも洗ってないみたい。
縮むと怖いとか言っている。頼むから洗ってほしい...。汚い! 着物のたたみ方も
一応教えたが1度で習得できる訳もなく、当日は紙袋につっこんで持ってくる。
馬の耳に念仏っていうんですかね、こういうのって。


  恒例の集合写真も今年で何度目かな??

7月までに、制作途中の2枚目のCDの録音残り3曲の
うちのせめて2曲は終わっておけたらと思っていますが、なかな
か練習がはかどらない....。この分だと出来るかな?


その37 2006年8月8日

どうにも身体がだるい….!!

出産まであと2か月半となりました。
つわりで半年間食べられなかったお茶碗に盛った白飯が、この半月くらい
前からまた食べられるようになり、あ〜生きていて良かったと思える時間
がまた徐々に増えて来た今日この頃です。

妊娠当初、これから10か月間楽しいマタニティーライフを送るんだ!
なんて夢見てました。ところがどっこい。臨月の半月前まで仕事、仕事。

録音のように姿が見えないものはいいけど、臨月になって大きなお腹を
抱えての演奏はちょっとばかり厳しい感じがしてならいのですが、
ニューヨークでは臨月の妊婦さんでも、普段と変わらず普通に舞台で演
奏もしています。
Officeワークの妊婦さんにおいては、あれ?ちょっと見なかったなあと
思ったら、いつのまにか赤ちゃんを産んでいて、早い人では10日くらい
で職場に復帰する人もいるそうです。母は強しですよね。

幸いかどうか….
現在6か月半ば、初産ということもあるのかどうか?思っていた程お腹が
出てこないから、充分着物は着られる、いままでの通りまだ琴 も運べりゃ、
ぬあ〜んと太鼓だって打てちゃう(勿論腕だけで軽くですけど)。

見た目で妊婦だと分からないから、電車に乗っても誰も席は譲ってくれない。
わざと電車の真ん中まで行って、みんなに見えるように腹をさすってみるが、
人の目には、ちょい太めの女性にしか見えないらしい。なんてこった!
そういえば主人が言ってましたが、歩き方だけは「立派な妊婦」だと…。
それってどういう意味よ??

先生が見た目が小さくても、ちゃんと赤ちゃんのサイズは充分あると言って
くださるので、あまり心配はしていませんが。

しかしお腹が小さいからといって、決して動きが楽な訳ではないです。
やっぱり妊婦は妊婦なんです。
見た目と反比例してお腹の重さもそこそこ、しゃがむのにも掛け声なし
ではもう無理。大きなお腹の妊婦さんと同じだけ疲れるのです。

特に太鼓の公演の合間には、もう横になりたくて仕方がない。とにかく
だるい。
放心状態ってこんな感じの事をいうのかな。琴カバーがいい布団代わり。
浴衣がはだけていても、まわりの目なんて全然気にもならない。太鼓の
メンバーが「見てみろ、まさよが壊れた」と喜んで写真を撮っていた。

しかし産まれてからが大変になるのだと思う。
ここには自分の親もいなければ親戚もいない。誰も子供を見ていてくれ
る人がいない。今まで通りお稽古、演奏を続けていくにはどうしたらよい
のだろうかと考えると正直寝られない。
アメリカは、たぶん日本よりもベビーシッターに頼る頻度が多いとは思うの
ですが… ただし良い方にあたらないと困るらしいです。

先輩ママに聞いたのですが、親に大事&大きなイベントがあったりして
精神的にバタバタしていると、不思議と子供は何かを察して急に(わざと?)
当日熱を出したりとか、頼んでいたベビーシッターさんがその日の朝になって
急にダメになったりして大変な思いをした話が身にしみます。
仕事を持つママは本当に大変。



もう出ました!!


生徒さんからお祝いに頂いた風船を天井に浮かべる

と、途中まで文章を書き溜めていたのですが、どういうわけか
6月30日早朝、7週間早く赤ちゃんが生まれてしまいました!!

前夜までレッスンをしてなんともなかったのに、夜中2時くらいに少し
お腹が痛くなって目が覚めました。
そのころにはよくお腹が張っていたので、きっといつもの張りだと思って
寝ようとしたのですが、4時頃には寝てられない程の痛みになって。

まさか陣痛だなんて思わないので、腸捻転?下痢か?なんて悠長に構え
ていたら、どんどん痛みが増し、間隔も短くなってきて。
その時点でもまだ産まれるなんてぜんぜん思わなかったけど、やっぱり
これは普通じゃない、こんなに痛い訳がない、おかしいので取りあえず
病院へ行った方がいいと思い、主人を起こしてタクシーを拾う。

その頃にはもう歩けないくらい痛くなっていて、タクシーの中でもうず
くまる。痛みで息が出来ない…!!

幸い渋滞がなかったので10分くらいで病院に着きました。看護婦
さんが「この子なんか痛そうだから先に見てあげた方がいいね」
「はい。ぜひ、おね.が…い…」

どこの病院もいくら救急で入っても、急ぐなんて事はない。友人は事故
で指先を落として救急に駆け込んだけど、拳銃で撃たれた人がいるから
暫く待つように言われ、意識が薄れていく地獄をみたらしい。

受付ではしっかり名前や生年月日、保険の種類、すべての情報を聞か
れ。そんな事はいまどうでもいいやんけ?と思うが。

やっと診察室へ。
どんどん人が入ってきてだれが誰か分からないけど「あなた産まれる
の?」とか聞いている。そんな事自分でわかれば医者はいらん。
とにかくどんどん痛くなってきて、テレビでよく見る出産のシーンを思
い出した。まさにそのままじゃん!!
一人の先生が子宮をチエックして、その場の空気が一転。子宮口がもう
5センチ開いているので、このまま帝王切開で出しますけどいいです
ねって。
いいも悪いもない。私はこの痛みから解放されるのならなんでもと思っ
た。

今度は自分の担当の先生が来て、もう一度子宮口を調べたら今度は
9センチ。普通分娩ならそれこそ10センチで出産らしい。
更に診察室が騒然となって「今すぐに手術室へいきますよ、9セ
ンチなんだから早く〜〜!!」と先生が叫んでいる。

破水も出血もない状態から、たった10分程度で子宮口が一気に
9センチにまで開いてしまうものかと、後に出産経験のある生徒さん達
と話題になった。

どうやってオペ室へ運ばれたのか、この辺りから記憶が殆どない。ただ
手術台に引っ張り上げられたことはかすかに記憶がある。
麻酔科の先生がもっと真っ直ぐ座れ、ベッドの右へ寄れとか言っていた
が、その時点ではもう痛すぎて対応の余地なし。
もう何がなんだか?

気がついたら回復室。
1630gの男の子。
主人曰く手術開始から3分で子供が出てきたらしいです。普通は
下半身麻酔なので産まれるのが分かるみたいですが、残念ながら私は
ぐっすり寝ていました。
一般的な7ヶ月のお腹の大きさにもならず、マタニティーを一度
も着たことがないまま産まれてしまった。
主人が元気に出てきたと言ってくれても、今ひとつ実感が沸かず。どう
してかわからないけど、なんとも言えないさみしさがこみ上げた。アメ
リカには5000グラムくらいの(11〜12パウンド)赤ちゃんってよくいるらしい。
めっちゃくっちゃでかい!


  保育器の中の息子                                妙な格好で良くねられると感心

アメリカは医療費が高いこともあり、帝王切開の場合は特に問題がなけ
ればママは4日目に退院。
義理の父は医者、その話をしたら驚いて余計な心配をかけてしまったよ
うだ。
問題がなく入院を希望した場合、入院費用は1日10万円程
度かかかるらしいですよ。
2日目から歩くように言われ、退院の日に縫合箇所のホチキスを取り、
その後傷の消毒も先生のチェックもなにもない。
これがアメリカだぁ!
ふう〜〜〜〜ワイルド!!

4日目、血圧が高くあやうく退院出来ないところだったのですが、アメ
リカ独立記念日の夕方7月4日家に戻る。

翌日5日、腰を抜かした双方の母達が心配してはるばる日本から
やってきた。翌日から保育器の我が子をみんなで毎日訪問。
数日間はどうにも傷が痛く、車いすを押してもらい病院へ。

同じくマンハッタン内の病院まで、電車とバスを乗り継いで行くのです
が、とにかく早くあかちゃんに会いたくて、足が絡まってしまいそうな
くらい前のめりに歩いている感じ。
1台バスに乗りそこねただけでも自然に腹がたち、意味もなく泣きそう
になる。次のバスがすぐ来るというのに….。
こんな私でも一応母になったのかな?

保育器の中の我が子は、数日間だけだったが色々な管がつけられ痛々し
かった。未熟児用のおむつが大きすぎて胸まで来ている。
こんなに小さく産んでしまったことに罪悪感を覚える。もしかして太鼓
が悪かったのか、毎日琴を弾く姿勢がよくなかったのかと自分を責める。
気になったので先生に聞いてみたが、早産は親のせいではないといわ
れ、ほんの少し気が楽になった。

途中黄疸が出たので治療を受けたりしその都度心配をしましたが、
3週間後1800gになった時点で退院となりました。
あまりにも小さいので、もう少し大きくなるまで病院の管理の元におい
てもらいたいと頼んだけど、元気なのでもう帰るように先生に説得され。

8月23日が予定日だったので、7月一杯までレッスンや演奏
会、録音の仕事がまだまだ残っていた…。
明日赤ちゃんが帰ってくる。おむつも無ければ、ベッドも、哺乳瓶もな
い。何を買ったらいいのかもわからない。どうしよう?!
とにかく必要そうな物だけ購入してくることに。

退院の指示が出たので、すぐに実家の母へ連絡。
「悪いけど明日朝一番の飛行機で来てくれる?」またまた腰を抜かした
母でした。

夜になって、主人と一緒に赤ちゃんを迎えに。いよいよ家に連れて帰れ
る。“嬉しさと不安“ってこういう時に使う言葉だと思った。
待ちにまったこの日。

まだベッドがなかったので、衣装ケースで寝かせることに。
フレームも主人がさくさくっと作った。建築家だけあって手早いもの。
その晩は寝ることも忘れて色々な作業に追われ。

翌日午後1時半、母の到着を待って私はすぐに録音の仕事に出か
ける。任天堂の新作ゲーム用に、太鼓や尺八、琴の音を入れる。
が、出かけている間、家に残してきた赤ちゃんのことが気になってなん
だか集中できない…でも頑張りました!

その晩の事、産まれたばかりの未熟児を残して、初日から仕事に行くな
んて….と嘆く母。私だって本当は泣きたい。とくかく先が思いやられる
なあ??

子供が家に戻った後も、この夏で引っ越しをする生徒さんの最後のお稽
古や演奏会、その練習に追われる。
嬉しいがそんな時に限って、これからの先の演奏依頼がいくつも入りそ
ちらの対応もまた大変。

eメールとあかちゃんのどちらが大切なのかと母に聞かれるが、日本で
言えば、東京の新宿や六本木に住んでいるような現状。
正直な話、毎月家賃だけでもえらいことである。
キャリアを保つためにも仕事はしなければならない。
両立することが自分でも精神的に安定していることも確か。“根性”だね。

夜の授乳で十分に寝てないので頭はぼ〜としているが、どれも絶対に
キャンセルは出来ない。いやしたくない。
健康には自信があるので、必ずやってみせる!


昨日は神道ニューヨーク出張所にお宮参りにも出かけました。
ちなみにこちらでは毎年七五三も行われています。


  手作りベッド 悪くない??                 お宮参り 親は大満足....

こわごわベビーカーに乗せて外に連れて出したのですが、改めて気がついた
のはマンハッタンの道の悪いこと。私が議員になったら、まず道を直そう。
脳が落ち着いていない子を連れて歩くには勇気がいる。
教訓 亀より遅くゆっくり進むべし

道行く人が「わ〜〜小さい可愛い赤ちゃん」と言ってくださる。(予想
以上に小さいのでみなさん驚く)嬉しいけど、なんかちょっと微妙?
交差点でお相撲さんのようなアメリカ人が「僕も実は未熟児だった…って」。
「まじっすか??」
うちの子もこんなにでかくなるのかしらと、みんなで顔を見合わせ苦笑い。

1か月前は見事な未熟児で片手にのっかるくらいでしたが、ミルクもよく飲み
1か月で2250gになりました。

9月からはどんどん演奏も入れています。
飛行機移動の遠方での演奏にも出かけます。
はじめてみないとわからないけど、子供と過ごす時間と自分の時間を区別
することによって、それぞれが充実した時&生活が送れたらと思います。
現実はそんなに簡単ではないこと、充分わかっていますが…。

この世に一人の子を送り出しのですから、楽しんで、後ろを振り返らず
やるしかないですね。
いままでもそのポリシーでやってきたから、なんとかなるわ!!



琴&尺八in セントラルパーク

徳島で英語を教えていたショローム君。2年間尺八を習っていた。
ニューヨークに戻って来てからも、先生について一生懸命に練習している。
たまには練習の成果を発表できるチャンスがほしいと、自ら去年の夏から
セントラルパークで琴、尺八のコンサートを企画。


そこそこ立派な舞台です


セントラルパークの中には大小含めて数カ所に舞台があります。特別大
きなイベントがない時は一般市民にも開放しています。

ニューヨーク市が管理をしている為、管理体制&組織が大きいことは分
かっていますが、あのずさんな仕事には泣かされます。
今年もかなり早い時期から日程を決め、出演者にも連絡がまわっていた
のですが、1か月前になって再確認 したら予約が入ってなかったらしいです。
この手の事務所ではよくあること…。
しかし、なんとか予定していた次の日が運よく取れてひと安心。

私たちは12時からの1時間をもらい6人で演奏。
今回は琴を知らない人達へのアピールを目的にし、なるべく大勢の人に
馴染みのある曲を入れた方が、寄ってくるかも?と安易な考えで、いまとて
もアメリカでも流行っている宮崎駿さんのアニメ映画のテーマ曲をいくつか
入れることにした。

当日 朝からあっつ!
午後には39度になるらしい。

ひろ〜〜い公園で、小さな音の楽器の演奏。マイクを入れていても厳し
いものがある。

なんとも運の悪いことに、後ろのステージではバンドが熱演中。
舞台ではすでに数人での尺八の演奏が始まっていたけど、悪いがなにも
聞こえない。

おまけに少し離れた所でサックスを吹く黒人の兄ちゃんはいるは、グループ
でドラムをたたく若者達もいるはで….。
彼らにほんのちょっとでも離れた所に移動してもえたらと思うが、みんなの
公園だからとても文句なぞ言えない。
まあこんな場所でのイベントは、なんでもありだぜのお気楽さが、か えって
良いのかもしれない。


体中に入れ墨をいれている尺八のグレム君
最近お茶の稽古もしていて、本番前の練習の合間にいきなり冷たい正座 して抹茶をたてて飲んでいた。


琴の時には、裏のバンドは休み中だった? 
ラッキー!
琴の音は尺八よりも音が届きやすいせいか?演奏が始まるとどんどん人
が寄ってきた。
私達も微妙に盛り上がったその雰囲気に助けられ、少しでも大きな音で
弾いて更に聞こえるようにと頑張る。

偶然その時公園に来ていた、全く日本の国やアジアの文化、ましてや琴
だ尺八だなんていうものと関係のない人達に見てもらえるというのはなかなか
いいことだと思う。

あらたまって演奏会を聴きに来てくださいとなれば客足は遠のき、ある程度
決まった人種&生活レベルの人達に偏ってしまう。
両方していくのが本当はいいんでしょうね。

私たちにとっても、夏はイベントが少ない時期。
参加者も良い練習の目標になり、出来そうでできないセントラルパーク
で演奏も実はわるかない。
だけど年に1〜2度で充分。


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