ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
戻る
その252003年8月9日

スポーツ感覚?
ある一人の生徒さんが、「私達の弾いているお琴って、殆どスポーツ感覚ですよね!」
と突然言ったことがある。
私はその一言にとても感銘を受け、その言葉こそ、私が自分たちの活動を象徴する、
まさに探していた言葉なのだ!と思ったものでした。

彼女は日本にいたころ数年間お琴を習っていたことがあって、彼女いわくその当時の
記憶としては、年配の先生はご年配、必ず正座をして御挨拶をして、”てんてんころ
りん しゃんしゃんしゃん〜〜”といった感じで、お琴をやさしくなでるように弾き、
発表会は当然いつも美しくお着物。

数年経って、ニューヨークでまた琴を習ってみれば、先生はいつもTシャツに短パン、
当然イスに座っての練習、左足は運動靴を常にはいている感覚?
どの糸をいつでも押しにいけるようにしっかりふんばってスタンバイ!
”左足は踏み込みが命である”といつも教えている。

音を出すときには、全身の力を指先に注ぎ込み、親指に軽い痛みを感じる程度のエネ
ルギーを入れる。
糸の上をなでるように弾くのではなく、爪を糸の下の木に向かって押し込むようにし
て力強い音を出す。

たまに曲の中で柱の左側を使ってわざと雑音を出す指示がありますよね。そんなもの
がでてきたら待ってましたといわんばかりに、こんなに楽しいテクニック、絶対にミ
スしてたまるか!のような勢いで全員が大きな音で弾くこと、ひくこと....。
糸切れてまうがな!!
昨年は龍角を右手の爪で叩き、琴の裏を軽く手のひらで交代に叩くという指示があっ
たが、ま〜〜みなさん思いっきり強くやってくれる。
もしかして、そこで日ごろのストレス発散かもしれない。
もう、何でもかんでも全力疾走である。
さすがに、「もう少し軽く叩いたほうがいいべ... ひょっとすると、あんたさんの
琴傷つくかもよ」

そしたら、みんな非常に不服そうであったことは言うまでもない。
弱く叩くとかえってストレスになるそうである。
「..............」でも同感。

楽器運搬も、一人1面ではない。どんなに小柄な女性でも、一度に最低2面は当然。
1面ずつ運んでいたら日が暮れる。最終的には全員一度に3面が目標である。
これは恐ろしいことに、今や手伝ってくれている生徒さんの御主人や、彼氏にも今で
は共通の言わずと知れたルールとなっている。
ここまで来るとちょっと恐ろしいことでもある?!

自分で扉を開けなければならないときは、必ずドアは足で元気よく蹴って開けること。
長く扉が開いている瞬間に、すべての楽器をクリアーさせるのである。そうしないと
ドアがすぐにしまってしまい、楽器に当たって琴が傷むのである。
でもね、琴を持っていないときは、決して足でドアを強く、強く蹴り上げて開けるな
んてことはしません。一応念の為に(^ー^)あ〜〜たまにする?

演奏会の後の着物の着替えは5分以内で済ます。
着物は当然”そでだだみ”で持って帰る。

ステージのセットは分担式。
何故か建築関係者が多い我がグループ。
彼らが毛氈をまずひいてくれる。
以前込み耳に挟んだのだが ”あのすみから直角だしましょう” と2人で打ち合わ
せをしている。
私には??????であった。
なんでもいいから適当にひいて頂ければ良いのである。
何も毛氈ごときで直角ださなくっても...?
そんな世界にいる彼らは、どんな時でも歪みは許されないようである。
後は、火事の時のバケツリレーの要領で琴をどんどんと並べていく。
そのとき腰がしっかり入っていないと、着物なんぞきていたらこれは結構疲れる作業
である。
足、腰が基本である。あと腕力も。そして根性!


こうして一度に3面は持つのだ!!

年に数回みんなで演奏する時があり、新人で始めて演奏に参加する生徒さんは、他の
女性のたくましい動きに一瞬戸惑いを感じているようですが、2度目の演奏会からは
また違う新人さんに教える立場に回っているのです。
やっぱり女の人ってすごく柔軟性があるな〜なんて感心しています。
そして私はそんな彼女達を見て、心の中で「よしよし、一人また育ったな!」と嬉し
く思うのでした。
どこにも”引っ越さないでね”とも、密かに思うのである(というのも、やっと慣れ
たと思ったら帰国してしまったり、他の土地に引っ越してしまう生徒さんが多いもの
で...。)

これもすべて!本当に何もかも自分達でしなければならない境遇にいる私達の宿命で
しょうね。
前にも書きましたが、アメリカで一人この年まで独身、それ以上強くなりすぎないよ
うに気をつけた方がいいよ!前から日本にいる妹が忠告してくれていたが、こんな強
くなりすぎた女にもついに幸福の神様が手を差しのべてくれた。

なんと、本人もびっくり
10月に結婚することになりました。

結婚までは、なんとか?可愛い女性でありたいと、とってつけたように優しく振る舞っ
ていますが、彼は「何かが違うん....だ」と、毎日繰り返し繰り返しつぶやいている。
所詮彼の独り言。

一度強くなってしまうと、今度あえて弱くは、なかなかなれないものである。
弱くから強くは、がんばればなれたけどな〜...。


その262003年12月11日

新しい人生のスタート、大きなバツ印と共に??
前夜から降り続いていた大雨は、幸いに止んでいました。
ついにやって参りました、2003年10月18日私の結婚式どえす!
(こんなもの読みたくねーやという方は、飛ばしてください!すいません....)

沢井琴曲院現副会長の沢井一恵先生、お嬢さんの加奈子さんも遙々日本から御参列下
さり、総勢100名の披露宴とあいなりました。
招待状、衣装の購入、お式の牧師さん探し、お花選び、引き出物の手配まですべて自
分達でします。しかし私達2人右も左もわからず、何も始まらない状態であたふたし
ていたところ、ニューヨークでお母様と一緒にお花屋さんを経営している生徒さんが
お仕事柄詳しい事もあり、手取足取り準備の手助けをしてくれたお陰で私達の結婚式
が実現しました。


昔から漠然と思っていました。
結婚式の前にはオリジナル以上には美しくなれずとも!ガリガリに痩せなくとも!そ
そくさとエステに通い、なんだかんだと母や妹と買い物に出かけたりするんだろうな
〜って。しかし現実は...。あ〜〜また思い出すだけで寒気が。

日本人の方に司会をお願いしていたのですが、4日前になってその方のお子さんに起
きたある事情からドタキャン。とにかく他の人を探さねば。



アメリカでは多くの花嫁がウエディングドレスを購入。トラブルはそこから始まった。                 .
自分のドレスが出来上がって来るまでに、通常早くて6ヶ月程度かかるのですが、結
婚式の日取りを決めたのが遅かったのですが、無理をおして作ってもらいました。
待つこと3ヶ月。頼んだサイズより一つ大きいのが届いてしまった。それが式の1週間
前。自分のサイズをもう一度注文するが、そのドレスがいつまで待っても届かない。
店長と電話で大喧嘩したことは当然であるが、ないものはない。

4日前になってやっと届いた。しかしそれも大きすぎたので、大急ぎで専門家にサイ
ズ直しを頼んだところ、出来上がってみればなんと今度は恐ろしく小さくなりすぎて、
どう身体をひねってもチャックが上がらないではないか。高い修理代払ったのに!

お式まであと2日、泣き言を言っている時間はない。もう自分で直すしかない。
仕事で疲れきっている彼も道連れに...。夜な夜なミシンを出してきたのだが、その
日に限ってミシンが上手く動かない...。世の中で結婚式の2日前になって、自分でウェ
ヂィングドレスを直している人って果たしてどれくらいいるのだろうかと、涙ながら
に訴える。彼は”そうだそうだ”とうなずきながら、手を止めず懸命にドレスの糸を
ほどいてくれた。
その後も、私は自分にふりかかった不幸を延々と述べていた。

結婚式の5日前まで、演奏会&毎日のレッスンとで忙しかった。その頃遠方での演奏
が多かったので、ニューヨークにもあまりいなかった。

いま思えば、このハードすぎたスケジュールが間違いのもとだったのだろうか...。
ああ後悔。
連日命がけでがんばったが、疲れていてよく頭がまわらない。
そうこしている間に日本から両家の両親&家族が到着。最後は家族も巻き込んでの準備。
しかし捗らず。ついに前日になってしまった。
前夜12時過ぎてから、自分たちの入場&退場の曲も決まっていないことに気がつき、
妹夫婦に選んで貰う始末。実は今でも何の曲を選んでくれたのかはっきりとした覚え
がない。
いつかゆっくり思い出に浸りながら、聞いてみたいと思っている。

当日の朝、美容師さんが事情で遅れた為、予定よりかなり遅れてセントラルパークで
の写真撮影。とっても寒かった。妹はあまりの寒さに”発熱覚悟〜〜”と自分自身に
気合いを入れていた。かなり時間は押してしまいましたが、無事撮影に行けて良かっ
たです。

バージンロードを敷いてもらいました。(購入したもの)ご存知の通り、これは最後
に私と父が入場するときに初めて広げる物。なぜかはじめっから敷いてあった。みん
なが思いっきり踏んだ後、最後に私が歩いた。なんで???? 


日本でも最近教会での結婚式が多いようですが、こちらでは本当にその宗教の信者で
ないと式が挙げられません。そのためユニタリアンチャーチというものがあり、そこ
ではどの宗教の人でも結婚式が挙げられます。ニューヨークにも3箇所ありますが、
私達はホテルの中での結婚式でした。
2人共日本人ですから、なにか日本のものを入れたいと思っていたところ、生徒さん
の中で三三九度のお道具を持っている方がいらっしゃいましたので牧師さんにも見守
れ、バックには越天楽が流れる中その儀式をお願いしました。
日本人参列者の中でも、今までに見たことがないという方が結構いたようですし、特
にアメリカ人の人達は何が行われているのかと、興味深く見入っていたらしいです。


披露宴の始めに新婦と実父がダンスをし、そのあと新婦&新郎がダンス。
これはアメリカ流だそうです。この日のためにせっせとレッスンを取る人もいるとか。
この世でダンスほど苦手できらいなものはないと日頃から訴えている私と主人が、人
前でダンスなど出来るわけがない。彼は”ダンスがあるのなら結婚式欠席”だと言っ
ていた。
私も気持ちは痛いほどわかる。

おまけにうちの父がダンス???ありえない!
さんざん考え、ダンスは取りやめにした。
しかし、踊りたいのは新郎新婦ではなく、要はゲストの方々なのである。
まずは主賓が先に踊らないと自分たちが踊れないのである。みんなむずむずしていた
ことでしょう。

上手いことダンスから逃げられシメシメと思っていた披露宴終盤、司会の方から”気
はこころ”15分だけダンスタイムだと告げると、自然に拍手が起こってやっぱり踊ら
される羽目に...。みな私達がダンスすることをいやがっている事知っていたのであ
る。なんとも最悪!
冗談でも嘘でもなく、生まれて一度もダンスなんかしたことのない私達。
ダンスフロアーに出て行ったものの、どう手を組むのかもわからず会場大爆笑。
受けたからよかった....。後日多くの方より、その”そのダンス”についてのコメン
トを頂いた。死んでも二度とダンスはしない。

海外支部のメンバーで、同じく92年に海外に派遣された松本晶子さん(サンフラン
シスコ在)とマルコさん(元鬼太鼓座団員+尺八)の2人が、”鶴亀+祝い太鼓”を
披露してくれました。晶子さんお手製の鶴と亀を背負って。なんとも表現しかねる彼
女の動きに会場は一気に和。こんな人、一家に1人いたらいいですよね。
            鶴と亀による祝い太鼓

沢井琴曲院海外支部のメンバー3人で、沢井忠夫先生の”だちゅら”を弾いた。
主人ががんばってお琴弾くんだと夏から張り切っていたのですが、やっぱり仕事が忙
しく人前で弾けるまで到達しなかったので泣く泣くGive Up.
琴2+17弦1
前日寒空の中、1時間半もタクシーを待って運んだ17弦。(注1)
もちぶっつけ本番
出来は....?? ”だちゅら”だったような、違うような...。
生徒の中で、誰がこの曲弾いた事があったかな〜と辺りを見回す。
後から彼らの顔色を伺う自分がいた。
後でvideoを見たら「まず先に、一恵先生にあやばってこねば!」という秋田訛りの
晶子さんの声が、しっかりと入っていた。
忠夫先生、本当にごめんなさいです。

結婚式は、だれにとっても人生最大のイベントの一つ。
なにが何でも美しくならねばと、夏から水泳とジョギングを始めた。
とにかく痩せることだけを考え、日焼けなんて念頭にもなかった。


10月に入ってもかなり目立って残っていたので心配になり友人に相談したところ、日
焼けを消すクリームが売っているから心配はいらないよと。それならと安心しきって
いたのだが、なんとそのクリームを買うことをすっかり忘れていた。
当日、背中には大きなバツ印が。
写真にもはっきりくっきりと写っている。
人生の門出 ”ばぁっつぅーー”と共に。

おまけに持っていったストッキング、2足ともはじめっから破れていた。
なんだか私達の将来を予期されているみたいでちょっと怖い。


(注1)車を持っていないので17弦琴の運搬にはワゴンタクシーを使います。が、い
まではまだ数少ないワゴンタクシーを道で探すのは容易ではありません。ちなみに普
通のタクシーには17弦琴は乗りません。琴なら普通のタクシーでも大丈夫です。
通常琴の移動には殆どバスと地下鉄で移動しています。地下鉄などで、外国人の男性
が良く運搬を手伝ってあげようかと声を掛けてくれますが、その方少々お年?持った
途端にふらふらし始めたので、やっぱり自分で持つのがええな...と。
リハーサルに最近よく短い琴を使っていますが、それでも私の身長より長い。
「あなたは、なんでそんな自分より長いものを持って歩いているのか?」と良く聞か
れる。
”あのね〜これでも実は短いほうなんですよ。本当はもっと長いんですう!!見たい
ですか?”と自分の気が済むまで説明したい気持ちで一杯である。

ちなみに旦那様は日本人で5才年下(流行りかな???)建築の仕事をしています。

*******************************

アメリカでも ”かぐや姫 ”

世界中、どこででもほしい物が手に入るこの時代。
そんな時だからこそ、改めて日本と西洋の架け橋となる真の音楽が必要なんだと、日
頃から訴えている日本人女性ピアニストが ”かぐや姫物語”をアメリカ人作曲家に
依嘱。

過去にも何度か演奏されたのですが、なかなか評判が良くアンコールコンサートが行
われました。
編成はピアノ、バイオリン、チェロ、ヴィオラ、打楽器、琴、尺八、そしてナレーション。
尺八は世界で大活躍の倉橋義雄さんでした。

曲のメインであるナレーターは、本業がクラシックの歌手ということもあり、とても
良く通る素敵な渋い声でした。
倉橋さんに着付けてもらった「紋付き袴」がよく似合っており、本人は舞台に出てく
るときからすっかり役者気取り。そんな彼の可愛い雰囲気を察してか、会場の雰囲気
もとても良かったと思います。弦と打楽器はジュリアード音楽院の卒業生。

この曲35ページ 30分と長い曲でした。
ナレーターに合わせて音楽が入るのですが、そのつどリズムの合図は弦楽。
この合図がよくわからない。弦の人達は流石に慣れているので、私に取ってどんなわ
かりずらいサインでもついて行っている。
慣れていない私にとってはかなり悪戦苦闘。
琴パート自体はとっても簡単なのですが、カウントの入りが上手く理解出来ずじまい
で、今回不完全燃焼に終わってしましました。なさけな...!
指揮者によって、音を出すタイミングが微妙に違うと言う話を聞きますが、これもも
しかして同じ事でしょうか?
いやいや、単純に私の経験不足だと思います。
今後沢山洋楽の方とご一緒する機会を作り、そのやり方に慣れないといけないのだと
今回つくづく思い反省しています。
これからもこのような機会は沢山あると思いますので、苦手な分野でも進んで挑戦し
ていかなければいけませんね。

来年3月のヨーロッパツアーに向けての練習が間もなく始まります。
中国琴&韓国琴&日本琴&韓国ドラムのグループです。


その27へ

戻る
HOME

inserted by FC2 system