ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代
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その44 2008年11月3日

勉強会

10月に入って急に忙しくなって来ました。このまま来春へ突入か?

夜が明ける頃起きて、まずは部屋中に散らかるおもちゃを片づけ、朝飯作って、主人の弁当作って
(毎日ではないけれど)、夕食の下ごしらえして、お風呂入って、息子を預ける準備して、お子を起
こして、挙げ句の果てに行きたくないと大泣きされ....。
息子を預けた帰り道、10時半にランチのおにぎりを2つ食べ、11時から夜8時まで休みなくお稽古。
3時頃にはお腹が減ってどうしようもない。こんな平和…また地獄の日々が相変わらず続いておりま
す。

ニューヨークでお稽古場を開いて今年で11年目になりますが、なかなか生徒さん同士の交流の機会が
ないこと、また本番があったほうが練習に身が入るということで勉強会をすることになりました。

なにせ初めてのことで、はじめは勉強会ってなに?
最初だし10人も参加してもらえれば十分だと思って希望者を募ったところ、43人中半分以上の人が参加。
先月仕事の関係でコロラドに引っ越した人も、飛行機に乗り泊まりがけで参加。




当日は秋晴れ、完璧に準備された中、会が始まった。
「先生は裏方仕事は一切はせず、音楽に関わることだけに集中して下さい!」といわれ。
日頃からちょろちょろすることに慣れているから(好きだから?)椅子に座ってじっとしているのは
苦痛?動きまわっていたら怒られた。

陶器会社を経営されている生徒さんの事務所を(楽器の輸入から、リハーサル、出稽古の場所提供、
とにかくなにもかも一気に引き受けて下さっています)お借りして演奏会をしました。彼女とご主人
様で舞台を作って下さいました。ライトもあって舞台のまわりには一面屏風が並べられていました。





うちの生徒さんは、大勢で弾く機会は結構多いのですが、少人数での演奏は殆ど経験がなく、人前で
はじめてソロを演奏した人も多かったのですが、どの曲も完成度が高いことに感心しました。曲に対
する姿勢が音となって表現され、心打たれる演奏が続きました。
音楽を演奏するにあたり、なにが一番大切なのか、参加したメンバーそれぞれに自分の演奏、他人の
演奏を通じて何かを感じ取ったと思います。本当に意味のある楽しい一日でした。



      写真  12才 三味線ってお琴よりも難しい???!! 

今回も勿論そうですが、いつもすべての準備&雑用を一気に引き受けてくれる生徒さんがいます。
日系の会社にお勤めですが、ぬぁんと!!年末には勤め先の社長さんから、彼女宛にお歳暮が届くら
しい。そのくらい仕事ができる。
それをいいことに、このところ彼女になんでもお任せしている。更に彼女のご主人は、いつも舞台進
行責任者として、わざわざ単身赴任先のクリーブランドから車で8時間かけて駆けつけてくださるご
一家。ただただ「感謝」。


Music from Japan

「Music from Japan」と題したコンサートをニューヨークとワシントンDCのスミソニアン博物館で行
ないました。
日本人の作曲家による作品を集めた演奏会で、琴、ピアノ、チェロ、バイオリンの構成。
宮城道雄 「春の海」を琴とバイオリン、沢井忠夫 「風の歌」を琴とチェロ、石井真木の「残照の
時」をバイオリンと琴で。



               写真  演奏会で

他には黛俊郎氏の「bunraku」チェロソロ、山田耕筰の「七つの詩」ピアノソロ、武光徹のトリオ、
佐藤聡明氏の作品です。
ピアニストはケンタッキーに住んでいることもあり、リハーサルが難しい。全員が一緒に弾ける曲が
なかったのが残念でした。


原田さんと

今年もまたシンガーソングライターの原田真二さんとご一緒させて頂く機会がありました。
ここ数年、ニューヨークで行われている長崎原爆のセレモニーや、9.1テロの追悼のイベントなどに
も多く参加されています。
今回はニューヨークにある仏教会の本堂の修復基金を募る為のparty で原田さんがフューチャーされ、
その中で数曲ご一緒しました。
演奏当日までお互いに時間がなく、本番数時間前に少しだけ一緒に弾いてみる程度。事前に音源を頂
いていたのでなんとかなったものの、かなり危ない橋渡っています…。

彼のヒット曲Candyが、生で聴けてとても感動。懐かしかった。
ご本人にいわく、いまではすっかり少なくなった“シンジ?”のかけ声を、みんなで練習してから入
れてみるなど、笑いの絶えない1時間半。



         写真 原田さんとは今年で3回目ご一緒させていただいています。

彼のshowを見ていて思ったのですが、とにかく頭の回転がよくないとできないんだなって。
その場でその日のお客さんの雰囲気を感じ取り、洒落の利いたお客さんとの会話のキャッチボール。
う??ん、流石です。

イベントの後、ペニンシュラホテル(名前ほどたいしたことないと思ってしまった…)の最上階で軽
い食事をし、関係者だけが仏教会に戻って打ち上げの2次会。
原田さんが率先して日本から持って来たインスタントラーメンを手早く作って下さり、ワインと梅酒
で朝方まで盛り上がる。
原田さん親子も翌日朝に帰国だし、私は朝7時半に家を出て郊外で出稽古、そのままイベントでの演
奏のため1泊泊まりでサウスキャロライナへ行かないといけない。夜中に家に戻って、翌日の主人と
玲の夕食を作る。
飛行機では爆睡。一緒に行った尺八の人が驚く。なんでそんなに寝られるの?って。が、その時点で
は説明する元気さえない。
愛する息子よ、どうかママを忘れないでおくれ!!
たけさん(旦那)大変申し訳ない…。息子玲をよろしく。


苦手なトーク

ここ数年、毎年ジュリアード音楽院で琴と三味線の1時間の講義を頼まれています。
とにかく何がいやって、下手な英語で話をするのがつらい。何年経っても苦手なものは苦手。苦手と
いうことは、日本語でもだめということなんですが。
なので、その焦りが出てしまって、内容がいつも受け狙い的な講義になる。下手な英語か、はたまた
道を外れた馬鹿な話が受けているのかはわからないけど、まあうけているようなのでそれはそれでよ
し。こんな調子で毎年全く成長がない。困ったことです。呼んでくれる教授は内心呆れていることで
しょう。


ミンクを?

男性のアメリカ人の生徒さんで、病院の薬局に勤めている人がいる。
御実家が毛皮屋で、家にはあまり着ることはないが、沢山(毛皮)を持っていると聞いていた。
ある日これを着物の袖につけてみようと思っていると、実家に転がっていた縫製前の細長いミンクを
持ってきた。
着物の袖にミンク?凄い発想だが、ここは外国、もち何でも有り。
紙袋に一杯入っていたので、これ全部ミンク?沢山ありますね…と言ったら一つあげるって。これ丁
度琴に挟んでおくのにいいからタオルのかわりにしなさいって。ミンクをですか??もったいないと
思うのは、私だけでしょうか?



               写真 琴にミンクですか?ちょっと贅沢しょ。

彼は今年の桜祭りの時に、日本最大手の真珠会社に自分の袴を送り、約360個の真珠を袴の柄に合わ
せて縫いつけた。一つくらい落ちるかも?とザルを持って彼の後ろをついてまわったが、黒真珠はひ
とつも落ちてはこなかった。
一度着たものは2度着ないという。袴に縫いつけられたその真珠がどうなるか、私は気になって仕方
がない(笑)。


2才になった息子玲は、本当に手がかかって大変。
お稽古の日は預けているので、それ以外の日はせめて一緒にと思うのですが、一緒にいると実は1日
中何もできない。ということは、自分の仕事をするときはないということですよね。息子は夜寝るの
が11時半から1時の間。
寝るのが遅いので流石に夜中は起きないけど、朝起きるなりもうべったりで。
昼寝をしてくれている時間だけが私の時間です。昼寝が夕方5時とか6時から。で、いつ起きるか分
からないから、もう焦ってしまい、やることは山のようにあるのですが、何から手をつけたら良いの
か。鉛筆もったまま、洗濯物干したり、おにぎり作りかけで掃除機かけたり。
他人が見たらちょっとこの人まずい?と思うでしょう、きっと。



           写真 めがね大好き ミニカーの炒め物?  最近お気に入りのポーズ


おしゃみせん?

言葉を話し始めるのが少し遅く、お医者さんからももしかしたら言葉の教室へいく事になるかもしれ
ないねと言われて、当時新米ママは心配でたまらなかったのですが、一端言葉が出始めたら、止まる
ことを知らない。それまでたまっていたのが溢れ出しているとか、よくあることらしいです。

たぶんシッターさんがよく言っているのでしょうね。毎日「Oh my God」の連続。この言葉の使い方、
ちゃんとあっているところが凄いと思う。

寝ている時はたしかに天使(良く言ったものですね)。
目が覚めて一端目が合ってもまずは無視。もしかしたらもう一度寝るかもしれないから。
だめだ、寝ない。無視を続けていると最近はよく「ママ、ここにこないかな??」というようになっ
た。言われたら行くしかない。


ある日、息子が寝ているうちにどうしても見ておきたい地唄三味線のvideoがあったので見ていたら、
何故かすぐに起きてきて“ ママ、これおしゃみせん?というので”そうだよ“という会話があった。
そして彼はその音楽で踊っている。妙な奴。この子、もしかしたらリズムオンチかもしれない。

タイムズスクエアーの辺りで、肩からギターを掛けている人を見つけて“あ!ママしゃみせん”と大
きな声で言った。またまたご冗談を….といわれそうですが、その若い人ちゃん、偶然にもなんと日
本人だった。
「え!三味線知ってるんすかぁ。す~っごいですね」って。
ニューヨークでギターを三味線をいうのはうちの息子くらいでしょう。コンピュターのデスクトップ
にもギターのアイコンがあるのですが、それも“あ?おしゃみせん”といいますし、料理用のフライ
返しの事を“撥”だと言ってききません(苦笑)。

最近こちらでもNHKの朝の連続テレビ小説”だんだん“が流れていますが、画面に大きな三味線が
出てくるんですよね。音楽が始まっただけでもう大興奮。
毎朝“ママ??ママ??電車さんとお三味線だぁ”。

最近白髪が1本から2本に増えて、老眼が始まっていることに気づいてしまった私。自然現象だから
しかたがないけど、なんか落ち込む..。確実に年を取っているんだと。

来週にはサンディエゴで、現地のオーケストラと一緒に沢井先生の“鳥のように“を3ヶ所で演奏し
ます。
サンディエゴでの滞在期間が長いので、日本から母に来てもらって息子を見てもらう事に。
金銭的に結構大がかりなイベントとなってしまいましたが…。その後12月は家族で帰国。
待ちに待ったバケーションまであと少し!!が、今年は航空運賃が高い。
一昔前と比べたら倍近くなっている。おまけに息子も大人料金と200ドル程度しか違わない。

それまでは呑気に白髪の数を数えている時間なんてない。
前進あるのみ。が、やっぱり「その日暮らし」からは抜け出せない。


その45 2009年4月24日

もう4月半ば??

今年に入ってから、私ってなにしてたんだろう??
昨年末までは全く実感がなかったのですが、今年に入ってから、ここニューヨークでも世界的な不況                  .
の波が庶民にまで影響しています。

毎年この時期一番忙しい筈なのですが、昨年に比べるとなんとなくゆったり。
そんな訳で、ダラダラ過ごしていたら4月になっちゃいました。この不景気、ちょっと焦るけど、ま
あ〜どうあがいてみても暇に違いはない。




写真1  メトロポリタン ミュージックコレクションでの演奏 

不景気で予算がないので、今回着物はきなくてもいいですといわれた。ふぅ〜どこも厳しいですね。

昨年は本当に忙しく、10月頃にはもう限界!ってところまできていたので、思い切って1ヶ月の休暇
を取りお正月は日本で過ごしてきました。

仕事がない=お金が入らないということなのに…

日本でアメリカとの連絡用に100%あてにしていた妹のコンピューターが12月30日に全然動かなくな
り(新しく買った方が安いらしい)ニューヨークに戻ったら、洗濯機が轟音をたてて壊れ、DVD、テ
レビも続けてぶっ壊れ、風邪をひいていた息子が布団の上で何度も吐きまくり、洗濯も限界と掛け布
団も買い換え。洗濯機なんてまだ3年も経っていない!

それからもっと驚くことが。日本に行っている間に、私のクレジットカードナンバーが盗まれて、誰
かが相当な金額を使っていた。まさに踏んだり蹴ったり。これは何かのたたり?
不景気に備え、更に質素な生活する覚悟をした矢先からのこの出来事。念のためお祓すべし。

帰国の前11月半ばには、サンディエゴ チェンバー オーケストラとの共演の為、10日間ほど暖か
いカリフォルニアへ。去年春に他のオーケストラとの共演で呼んでくれた同じ指揮者からの招待でし
た。
曲は沢井忠夫先生作曲の「鳥のように」
数年前、大嶋ミチル氏によりオリジナル曲にオーケストラの部分が新たに作曲されました。この曲は
2回目のオーケストラとの共演になります。

その頃は、すでに結構寒くなっていたニューヨークを飛び出してサンディエゴへ。寒いのはごめんだ
せ!
が、サンディエゴはちょ〜暑かった。同じアメリカでも、ここまで違うものかと改めて驚く。11月半
ばなのに日中は日が燦々と照りつけ、気温も28度くらいまで上がっていました。

2才半の息子を1週間以上ほって留守をする訳にもいかず(実は私がいなくても全く問題はないんだ
けど、主人が連れていって欲しいと言った)日本から息子の面倒を見てもらう為に実家の母に来ても
らいました。

母は長い間同居の祖母と犬がいたので、長期の旅行なんてとてもできなかったのですが、人生ってわ
からないものですね。
犬、祖母が亡くなってからは、長年の夢が叶ったかのように?国内旅行をすっとばして、毎年ニュー
ヨークに来ています。11月にはニューヨークから行く私とロスの空港で落ち合うという、母にしたら
天と地がひっくりかえるような事にも挑戦。単純に考えたら難しくはなのかもしれないけど、もしな
にか問題が起きた時は、やっぱり言葉の壁は厚い、最悪の事態になりかねないですよねえ。

私は仕事で何度かロスの空港に行っており、日本からの便が到着するターミナルがどこにあるか知っ
ていたので、まず精神的には随分救いになりました。

日系の航空会社、ファミリーサービスというのを頼んでおいたら、出発& 到着後の荷物の世話まで
完璧にしてくれる等という業務ぶり。流石!
出発前は少しびびっていた母も、無事に着いたら、これからどこでもいけると言っていた。

ロスで無事に会えてから、サンディエゴまでは小旅行気分。やっぱり何年経っても幾つになっても、
親に会うというのは一番のリラックスだと思う。

しかし荷物の多かったこと。
息子のベビーカーもかさばり、フライトケース入りの琴、2人分のスーツケース、迎えの車への詰め
込みも悪戦苦闘。
母の荷物といえば山もり一杯孫へのお土産と、日本からの食べ物で一杯。一緒に積み込みを手伝って
くれた彼女、そんな事を知るよしもない。

ホテルまで送ってもらい、まわりを見渡してげえ〜〜!
まわりになにもない。なんだか建物は沢山経っているけど、不動産屋とか高級ブティックとか、日々
の生活に関係のないお店ばっかり。ホテルの辺りは高級住宅地だそうで、ホテル自体はとても素敵、
文句なしで快適でしたが、立地にはとにかく参ってしまいました。

幸いサンディエゴにお住まいで、同じ沢井琴曲院のゆき.イースターさんが、快く色々なお手伝いし
ますよと申し出て下さっていましたので、到着の日から早速生活に必要な買い出しにも連れていって
下さり、本当に助かりました。
カリフォルニアってあたりまえなのですが、100%車社会なんですよね。
基本は車での移動。車がなければ単純な話しアウチ。
なにせちょっとそこまでが、車で走って5〜10分とか。
1分程度歩けば、なんでもあるマンハッタンに慣れている私には、想定外の遠さです。
そんなホテルに入れられた私と母は、とにかくこの先滞在中息子の牛乳やおむつをどうするかと、そ
ればかりが心配だった。大好き



写真2 ゆきさんとお母様
私と母と息子の玲 ほっとひと息 ホテルのレストランで食事中

到着するなり翌日の予定が変更になったと言われ、どんどんと追加の仕事が来る。

ニューヨークを出る前からあまり寝てないなかったのと、はじめて一人で息子を連れての長旅の緊張
から、持病の偏頭痛で頭はガンガン。
母は時差呆けも手伝って、この世の人じゃないような顔してるし?
でも、久しぶりに会ったたった一人の孫に大興奮。
日本から持ってきたトーマスくんがついた靴を履かせ( ちょっと大きいが)「これ好きかね??」
と何度も岐阜弁で聞いていた。子供は凄い。面白がってすぐに母のきつい岐阜弁をまねて自分で受け
ている。
その後日本に1ヶ月行って、いまでは見事な訛りぶり。
彼は岐阜弁が正しい日本語だと思い込んでいると思う。

初日の晩はゆきさんが差し入れてくださった太巻きとみそ汁を頂き、明日に備え早めに寝る。やっぱ
り米とみそ汁がいい。
人間疲れているときは、布団で横になるだけでも幸せ〜〜と深く布団にうずくまっていたら、今度は
となりで息子がいきなり吐いた。
またお風呂入れて、係の人に頼んで布団も交換してもらって、更に疲れる。でも息子もそれなりに疲
れたんだと思う。

翌日は早朝からテレビの生放送。
年を重ねるごとに、1日では頭痛が直らなくなってきている。ああつらい。あまりのひどさに耐えき
れず、ここ数年は頭痛の専門医に通っている。検査をしても異常なし。体質だと。

朝6時半集合 午後からはラジオ生放送。
両方共、もともと予定に入ってなかった上に着物まで着て、本当ならエキストラチャージだ!と怒鳴
りたいけど、言えないところが悲しい。
おまけに、どちらもあたしが苦手とする事。
ラジオは短い演奏の他に、楽器と自分の事について話しをするように言われた。
「ほら、それきたぞー」なんとか勘弁してほしいと嘆願したが「喋るのはほんの少しだけだから心配
しなくていいよ」とスタッフが言う。だったらおまえも同じ事、外国語でやってみろよと内心マジで
むかついた。
だれでもイヤなことって、実際に自分に降りかかってみないと、このつらさは分かりませんよね?
テレビは思っていたよりもよく撮れていて満足。
ラジオについては……やっぱり“エヘヘ!”であった。
イヤなことはとっとと忘れよう。



写真3 笑顔でお話し、がんばってます。

リハーサル

どこのオケのリハも時間に制限があり、よくわからないままの状態で「はい時間です。終わり」
最近はそんな状況にも慣れてきたので、あとは本番前のあわせで調整しようと考えていました。
「鳥のように」はよく弾いているので、オケとの演奏も問題ないでしょう?とよく聞かれますが、い
くら弾き慣れた曲といってもオケという相手がいるから、そういう意味では一緒に弾くことに慣れる
必要があります。
勿論曲がわかっていますから、初演曲に比べたら大変さは比になりませんが、もともとソロの曲なの
で、部分的に少しテンポがフリーっぽくなっちゃうところもありますよね。
一人の時はそれでもいいのでしょうが、オケは全くテンポが揺れることがないから、あたりまえの話
しなのですが、曲を通してテンポを一切変えることなく弾かないといけません。それが少し慣れるま
で大変でした。
もともとオリジナル曲は起状に富み、まさに鳥の飛翔を表現した素晴らしい曲ですが、オーケストラ
パートが重なることで、耳慣れた曲に新しい世界観が加わる気がします。



写真4 指揮者のジョン.ホウさんと中国のピパ演奏者のミンシャオ.フェンさんと一緒に。

演奏会はサンディエゴ市内の3つの場所で演奏会が行われました。
1ヶ所目は大きな教会、次はコンサートホール、3ヶ所目がゴルフクラブ。
最終日といえば男性は蝶ネクタイ、女性はロングドレス。
何かの雑誌からそのまま出てきたみたいで。
あの方達、どのくらいのお金持ちなのか知りたい?
3箇所ともオケの演奏会だけあって、入場者数が凄かった。
またボストンのオーケストラに招待してもらうことになっています。頑張って良い演奏をせねば!


「まさよ、おちつけ〜〜〜!!」

今月始めに、マンハッタンで小規模の演奏会をしました。
その日は朝9時から桜祭りの為の合奏練習が川を挟んだ反対側のニュージャージであり、練習が1時
に終わってから数人の出演者と一緒に車でマンハッタンへ移動。予定していた駐車場が一杯で無理だ
といわれてしまい、無駄に時間だけが過ぎる。
若そうなにおいちゃんを故意的に捕まえて、女性みんなで手を合わせて頼み込む。
そしたらあっさりと入れてくれた。あ〜女で良かった〜ってか?
なんでもやってみるべし。が、とにかくくだらないところで時間が押してしまって、後はもうバタバタ。

2時すぎに会場に入り、時間が許す限り全曲通して弾いておきたかった。
最後の曲は合奏で、やっぱり一度は通しておいた方が良いということで、更にセットにも時間がかか
る。
開場時間ぎりぎりでざっとなんとか弾いて、とにかく時間がなく焦っていたので、着物に着替える頃
には頭がくらくらしていた。人の熱気に加え、くそ暑い時に着る合わせの着物。
あつすぎる。

開演時間になっても頭はまだくらくら。
見かねた生徒さんが一生懸命扇子であおいでくれたけど、全く涼しくならない。
鼻血出るぞ!と言いまくっていたが、生徒さんは「先生〜またまた..」と、誰も聞いてなかった。本
当に出そうだったのに。

気を静める心の余裕もなく1曲目ソロ 沢井先生の「甦る5つの歌」
私にとって、どれだけ練習しても難しい曲。
弾き始めてから鼻血が出るかもしないという恐怖+こんなに息切らしているのに難しい曲、とてもま
ともに弾けるとは思えない。でもすでに15分押している。笑顔で“いってきますわ”と言ったものの、
弾き始めると同時に、お客さんに気づかれないように何度も小さく深呼吸。「落ち着け、おちつけ?
?まさよ」
自分のへ暗示がかえられる余裕があるのは、逆に練習はしてあるんだからという安心感がどこかにあ
るからだと思う。



写真5 吟遊歌の演奏
絶対にしないと思っていた事をしてしちゃった。お揃いの花を髪をつける。可愛いジャンね。
内心思ったより花が悪目立ちしていなかったみたいでひと安心。

練習不足からの来る緊張感って、違う種の汗が出て、他事を考える余裕さえないですもんね。本番で
のできはどうであれ〜よ〜く練習せなあかんということです。たまに意味のある良い汗をかくのはい
いこと。私、誰に言っているのだろう?


NY地下鉄のエレベーター

いつも地下鉄での移動が多いのですが、子供と一緒の時はエレベーターを使わないと、もう流石に抱
きかかえて階段の乗り降りはきつくなってきました。どこの駅にもエレベーターがあるわけではない
ので(殆ど付いていない)なければ、子供を乗せたベビーカーごと抱き抱えて階段を使います。こん
なのいまの日本では考えられないですよね。



写真6 いつもママの太鼓の演奏を見ているので、演奏後は礼をします。
アイロンも自分でします。
お掃除も大好です。

駅のエレベーター、これがまた…ねえ。
運悪く修理中のサインでもあればいさぎよく諦められるけど、いつ来るのか、また本当に動いている
のかさえよく分からない時が多いのです。
息子と一緒に乗って、途中で止まった事があった。
Helpを押しても当然誰も出ない。息子は泣くし、恐怖で心臓が止まりそうだった。ニューヨークの地
下鉄で閉じ込められて一体誰が助けてくれるんだろうと、毎回恐怖心と戦いながら覚悟を決めて乗っ
ている。
おまけにエレベーターの中は鼻が180度曲がる臭さ。2才の息子でさえも「くしゃい、もうおんりす
る」と叫ぶ。でも階段で行く訳にいかないので、最近では膝掛け毛布に顔を埋めるように指導してい
る。


テレビ局って何様??

日本の楽器を使う仕事をしていることもあり、たま〜にですが、日本のテレビ局から取材の依頼があ
ります。
日本通の外国人とか、日本文化を広めるとか…、なんとか。
数年前は丁度スイスに行っている時に連絡あり、是非スイスからコンタクトしてほしいとの事でした。
でも時差があるので夜12時過ぎか朝6時前しかだめで、何度も公衆電話から日本に電話を入れていた。
かけ方もよく分からず。
ニューヨークに戻ったら詳細をとの話しに落ち着いた後、最後の電話でやはり企画から外れたと。別
にそれはそれで仕方がない事。
が、それ以来この手の話しが来ても、まじめに考えるのは時間の無駄。本当に決まったらお知らせ下
さいとお返事するようにしています。
先日また違う日本のテレビ局から連絡があって、ホームページを見させて頂き、取材の内容にぴった
りなので、来週早速撮影に伺いたいとの事だった。正直また具体的になるかどうかわからないからと
思い適当に話しを聞いていたのですが、電話の内容からも、取材の日が決まっていたりかなり具体的
になっているようだったので、こちらも来てもらう生徒を選んだりそれなりに準備を進めていました。

それなのにですよ!
前日の夜11時過ぎに電話があって「折角ですが、今回の取材はもういらなくなりました」あなたたち
って一体なんなんですか?人をからかっているのですかと聞きたい。
そちらからコンタクトしてきておいて、テレビだと思って強気なのか。テレビ局って一体何様??

もうすぐ恒例の桜祭り
今年は沢井先生の銀河とひかる先生の吟遊歌
全体的に技術が上達していてとても弾けていると思います。
本当に嬉しい限りです。




その46 2009年9月11日

スワインフルー (新型インフルエンザ)

少し収まってきたと思われる新型インフルエンザ。
このところ、また勢いを増してきましたね。
ニューヨークでも数人亡くなった方がいましたし、最近日本でも死者が出てこれからが心配です。
こちらでも盛んにニュースなどで、感染しないようにと注意を呼びかけてはいますが、なぜか日本の様に国民が揃って一斉にマスクをするなんて事はありえません。精々意識して手洗いをせっせとする程度でしょうか?
どうみても日本人観光客だと思うのですが、5番街を歩くマスク軍団を見て流石の私もドン引き。めっちゃ異様な雰囲気、漂わせていました。
ここでマスクをしていると、何かとんでもないひどい病気に掛かっていると思われるようです。


                       豚さんもマスク

いつも母が日本から来るときに、飛行機の中で風邪が移らないようにとマスクをしているらしいのですが、そのまま入国審査へ行くと、必ず別室に呼ばれるそうです。マスクで顔を隠していると思われて疑われるんでしょうか。
入国の時には外すようにといっているのにも関わらず…。
「また今日もちょっと来てといわれたよ。マスクしてなにが悪いの??!!」と逆ギレ。はい、お好きにどうぞ。


この不景気に凄い…

6月の始めに米国最大のスーパーマーケット"ウォールマート"の株主総会で演奏するためにアーカンソーという所に5日間行ってきました。日本では西友がウォールマート系列だそうです。

日常的な品物を中心に、かなり手頃な低価格で販売している為に、この世界的な不景気の中、この会社だけどんどん売り上げを伸ばしていると、そういえばニュースで聞いた記憶が。不景気だから特に売れ行きがいいんでしょうね。

5日間の総会の間、毎日色々なイベントがあったようでしたが、あまりにも規模が大きくて、実際現地に行っているあいだも、なにやっているのか、さっぱりわかりませんでした。

我が音楽集団は全米各地から演奏者が集まってきていましたが、ニューヨークにある企画会社からの派遣でしたので、現地では係員の指示に従うだけ。


                       一緒に演奏した人

今回の仕事は、世界進出しているウォールマートを音楽でも象徴するため( よくは知らないけど?)すべての参加者が集まる最終日おビッグイベントのオープニングで、世界の楽器を使った曲を演奏。

演奏家がアメリカ各地に在住しているので、打ち合わせは"電話ミーティング"でした。電話の時間を決めて、ある決まった番号に掛けると複数の人と同時に通話ができるんです。
始めてだったんで、ちょっと緊張しちゃいました。

数日後、楽譜と音源が届きました。
音源、何度聞いても楽譜とちょっと違う??
なんてことない、後でわかったんですが、やっぱり作曲家は琴の事よくわかりきっていなかったみたいで「こんな感じで、自分の弾きやすいように好きに変えて下さい」だったら始めに、一言メモつけろって。何がなんで違うのか、めっちゃ深く考えて、
時間のロス!なんともばからしい。

実は演奏当日になっても、まだみんなこれからなにするの?って感じだったのですが、会場に行ってみてわぁお?。会場のでかいこと。
大学のスタジアムでしたが、なんだか異様に大きかった。
裏方スタッフだけでも数百人。私達のように音楽やダンスで来ている人が更に数百人。
ゲストにはバスケット選手のマイケルジョーダンも来ていましたし、あとなんやらという、かなり有名らしい若い歌手のおねえちゃんもいました。

本番が始まって、コンピューターの音をバックに演奏。
一つの楽器の持ち時間はなんと1分弱、通して10分程度の曲。
アメリカ、日本、インド、イギリス、メキシコ、中国、ロシア、ブラジル等に黒人コーラス軍団などが加わって、たった10分の為に、ステージ上に35人はいたと思う。

舞台装置も凄く立派で、次々舞台が廻ってどんどん新しいイベントが展開される様に出来ていました。
泊まりで行って演奏はたった1分だけでしたが、ちょっと珍しい経験で、なんかとっても楽しかったです。


                          廻る舞台は楽しいなあ?! 

アメリカ最大手のイベント、17000万人が集合。この不景気の中、この総会に一体いくらつかったのだろうと、裏方みなで盛り上がってしまいした。

勿論留守の間、主人が毎日子供の世話をしてくれましたが、子供って親がバタバタしていると、なにかを察するのか、病気になったりしませんか?いやがらせかとも思える?
この時も下痢がひどく、へたしたら日に15回くらいおむつを取り替えないといけないくらいの状態で、シッターさんに預けられる毎日ヒヤヒヤ。ですが、金曜日まで幸いお迎えの電話はなく…。
有り難う、息子よ!!
でもあんなにひどい下痢が、人の家に行っている間だけなぜ止まったんだろうか?
主人いわく、私の留守中ずーっと本当にいい子だったと言います。
だけどやっぱり子供なりの不安が、色々な症状になって出てくるのかもしれないですね。


他の演奏者にも可愛がってもらっています。自分で荷物も運ぶし、大人の真似をして水辺で休憩もします。母なくとも立派に大きくなりました。


ウチの母は「可哀想に、そんなに長い時間置いて出かける事を察して、いかないでっていっとるんやわ、ちゃんと子供はそうやって抗議しとるんだよ」
父も電話で「玲君は、1週間もお母さんがおらんでさ、ぞかし辛かったやろうに…薄情な親を持ってかわいそうやな?」とか話し掛けているんですよ。
まあ仕事とはいえ、反論は出来ないです。


さよなら、バネ指

息子いま3才
始めての子だったからか、正しく抱っこしていなかったか、はたまた抱このしすぎだったか?

まず2年半前に右手首が腱鞘炎になりました。
この症状はママさんたちによく起こり、原因は子供の体重がまともに手首にかかり、腱鞘炎が起こるそうです。

どうにも痛いので、お医者さんでステロイドを打ってもらったら、幸い手首の方はよくなったのですが、その後遺症として右手の中指がバネ指になってしまいました。
始めの頃はちょっと不便だな?くらいだったので、ステロイドを打って様子を見ていたのですが、全く直る気配なし。
更に年月が経ち、今年に入ってから今度は薬指までがバネ指。
こちらの指はまずいことに動かすと痛みがあって、延びない指をのばしてやるたびに "うぅ?痛い!!"
どんどん浮腫んできて、朝は2本とも殆ど動きませんでした。

琴を弾く時も、なにかの拍子に中指を深く曲げてしまうと、左手で戻してやらないと元に戻らないのでいつもビクビク。

笑えるのが( スーパーのレジでよくあったのですが)両手が荷物で一杯でつかえない時に指が折れてしまった時は、その指を下の歯に引っかけて戻すしかないのですが、目の前で妙な行動に出る私にレジの人?
一応「指が戻ってこないので…と」かいってみるんですが、相手は私の言っている意味も全然わからないみたいで(苦笑)

演奏中にもし曲がったままになったら、次の休符を待って戻してやるんですが、それもダメなときは、さりげなく同じく下の歯に引っかけて戻すんです。
これを演奏中に何度もすると、見ている人はだんだん?
というわけで、日常生活にも琴弾くのにも支障がでるようになりました。

お医者さんが言うには、人差し指も悪い兆候がある、バネ指になっている指はステロイド治療がもうこれ以上もう出来ない、2年半たっても直らないのであれば、自力での完治は無理と診断されました。

悪いことは更に続いて
無意識に右手をかばっていたせいか、左の肘が腱鞘炎。これはすでに去年末に発症していて、帰国時にステロイド打ったらその時はよく利いた。
半年で効き目がなくなると聞いていたのですが、痛くなったらまたステロイドすればいさぁっと楽観視していた。が、今回は肘の辺りをよく見ると紫色に変色している。

それでも注射で治るんだから、最後まで我慢しようとふんばる。
医者に行ってわかったのですが、腱の炎症が骨にまで影響してしまって、紫色になっていたんです。
先生は、ここまでになってしまったらたぶん注射は利かないけど、まあ一度打ってみて様子をみようというのですが、先生のいう通り全く効き目なし。本当に痛い!まじかよ….
両手がえらいことに!!

以前から一恵先生にもバネ指の事をお話していたので、先生はいつも心配してくださっていました。
数ヶ月前お電話で話しているときに、同じ沢井の会員の方がバネ指の手術をされたと伺ったので、その方に直接お電話しをさせていただき、治療方法などについてお話しを伺いました。

術後にすぐ無理をして琴を弾かなければ、1ヶ月くらいで完全によく直り、手術による後遺症などの問題もないとおしゃっていたこともあり、思い切って手術することに決めました。が、日本と違って医者探しが大変。

アメリカは自分が持っている保険を扱っている先生にしか行くことしか出来ません。(勿論保険が利かない先生に自費でかかることが出来ますが、その場合初診で先生に診てもらうだけで約350ドル(3万円強くらいか?)
すでに明細が送られてきたのですが、今回の手術費用が合計で1万3千ドル(120万円強)
保険が効かなければ全額自腹ですよ!洒落になりません。

米国の治療費は日本に比べるとベラボーに高いというのは知られていることですが、数年前に腰が抜けそうな話しを聞いたことがあります。

うちの生徒さんの息子さんが、約1ヶ月ICUに入っていたのですが、その時の請求額が2700万円。小さい家が買えるなあ??
勿論ほぼ保険でカバーできたそうですが、その時一緒にその話を聞いていた人は、この金額に凍り付いていました。元気がなによりです。

知り合いの音楽家の方に、手の専門医で評判の良い方を紹介してもらったのですが、運悪く私の持っている保険は使えず、なかなか先生が決められない。
アメリカ人で尺八演奏家の方から、ジュリアード音楽院の近くにある大きな病院が、頻繁に音楽家やダンサーの治療をしているので、よいのではないかという情報を入手。結局その病院に掛かかることにしました。

私は2年半のつらい経験の末、自分的には腹を決めて先生に会いに行ったんですが、以外と簡単に手術が決まってしまい、こんなんでいいのだろうか?っと今度は怖くなってきた。
術後、指はいままで通りまたちゃんと動くのだろうか、琴も今まで通り不自由なくちゃんと弾けるのだろうか。
何を聞いても"うん、大丈夫"の一言。それもコンピューターに何かを入力しながら。
聞いても仕方がないことはわかっていたけど、100% 成功しますか?と聞いたら、その時ばかりは"すべての物事に100%の保証はないよ"そりゃ?そうでしょうけど…
明日の方向見ながらでも、ちゃんと人の話きいてるんじゃん。


包帯でグルグル巻きにされて、息子のおむつ替え、家事がきっと大変だろうと、またまた実家の母が登場。半年おきにニューヨークまで娘に呼び出されている。でも最初の2週間は包帯グルグルで全く何も出来なかったので、やっぱり来てもらっておいて良かったです


いよいよ手術の日
普通のアパートのようなビルの中に手術室がありました。
母と息子にも一緒に。1分とじっとしていられない息子。待合室でベビーカーを自分でグルングルン押しまくって、看護婦さん達に大受け?服を着替えてオペ室へ。げ??ライト、ベッド…..。怖い。
暖かくしてあった毛布を掛けてもらい、ぬくぬくじゃん!っと幸せを味わっていたのもつかの間。誰かが消毒液で手を洗っているし、心電図はセットされるし、恐怖で身体が硬直していくのがわかる。
先生が来て手術が始まった。テレビで見るように本人が見えないようにシーツで目隠しがされているけど、部分麻酔で起きているから何でも聞こえてくる。
先生が「ナイフ」と言ったときには、以外に冷静に「メス」じゃないか?と思った。血を拭いているのがわかる。その時点でもう気が遠くなる感じ。
先生達が雑談「昨日BBQしたんだけど、夜寝る頃には腹が減って寝られなかったよ。ハハハ?」どうよってはなし!!
すべての処置が終わり待合室へ戻ったら、時差呆けで爆睡している母、きっと一度も止まらず動き回っていたであろう息子。
母は「あれ?もう終わったの、早かったね。じゃぁかえろうか」
"あのね…."でも、切れる元気はなかった。

バリバリ10針の糸が手のひらに残っていて、皮膚がつっぱっていて変な感じ。

御稽古は休まずにしていたのですが、お琴と三味線は見てるだけ。でも尺八の合奏に来ている人にはなにか弾かないと形にならない?
"悪いけど、頑張って左手で弾いてみるわね?"


            初めて左手で弾いていたけど、ちょっと難しいなあ

そして日が経ち
術後2週目で先生に会いに。包帯をはさみでざくざく。解けるといわれている糸なのに、まだしっかり残っていた。糸が皮膚を引っ張って痛い。
先生開口一番傷口を見てなんといったと思います?
「ビューティフル、良い仕事だ!」
私{?????????????}
ビューティフルって??あんたが切ったんだからさあ。

術前にリハビリについては、必要ない人が多いとのことだったし、2週間程度で痛みも取れると説明されていた。
が、なんてことない。
週に2回1ヶ月間リハビリ、多少の痛みはあと2?1ヶ月間くらいは続くと思います....だと。
え?????? ぜんぜん話しがちゃうやんけ!

病院で薬剤師をしている生徒さんがいっていた。
手術前には、あまり本当の事をいわないお医者さんが沢山いるらしい。言ってしまえばやめる人もいるからか??
お医者さんが2週間と言ったら、最低1ヶ月?半と思うのがベター。うん、彼は正しかった。


       ああ??両手が…!!


今週からリハビリに通っています。患者が半円になっている机の前に座り、先生が内側で移動出来るようになっているのでお隣さんの状態が一目瞭然。思わず目を覆いたくなるような凄い傷跡がある人やら、肩から先が殆ど動かない人など。私以外の人はとてもつらそう。私の傷なんかへでもない。
右手表面の傷は(腱は別)日に日によくなるのが素人にもわかりますが、両腕とも中がどうやって直っていくかが問題…。中って見えないから、一体どうなっているのかわからない??
ただわかるのはまだ痛いってことだけ。

しかし何が一番痛いって、神経が集まっている手のひらの麻酔の注射。麻酔の時点で気が遠くなりそうでした。あの痛みって、なにやらする前になんとかならないものかと思う。

8/29  手術後、始めてソロの演奏に行ってきました。
琴は大丈夫だけど、三味線の撥を握るのがかなり腱にひびく。
ちょっとまだ過信してはいかんな。結構痛いぞ…。



             フィラデルフィァにある日本庭園松風荘

千住博氏の壁紙もあり、日本にいるような錯覚になる。素晴らしいところで演奏させてもらった


10月はスイスツアー、アメリカツアー、数日間に渡ってのフィラデルフィァでのコンサート。また息子と会えない日も多い。ちょっと寂しし、彼にも寂しい思いをさせるかも。だから私は頑張る。


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