ニューヨーク邦楽事情   石榑雅代

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その50 2011年7月26日

3月11日
本当に恐ろしいことが起きましたね。

数年前のインドネシアでの津波、中国の地震などの映像もオンタイムでテレビで見てはいました
が、やはり自国ではないということもあって、たぶんただぼーっと見ていただけ。
うちでは24時間日本語放送が観られるサービスを頼んでいるので、今回ほぼリアルタイムで余震
や津波の映像を見ていました。
ニュース等の途中で入る、地震緊急速報が出た時に鳴るピッピっていう音がなぜか異様に恐ろし
かったです。
いままで津波に関して何の知識も持っていませんでしたから、今回あちこちで起きた映像を見て
本当に凍り付きました。
中でも一般の方が撮っていたビデオで、目で見てわかるくらいすぐそこまで津波が来ていて、低
地の方にいるお年寄りに早く逃げて!っ言っている声が入っていたものなどは、本当に手に汗握
りました。

丁度東京に出張に行っていた生徒さんがこちらに戻って来て、自社の事務所の写真を見せてくだ
さったのですが、ああ引っ越しですかって??
事務所の棚の殆どが横倒し。幸い怪我人は出なかったとのこと。まずは無事でなによりでしたと。
しかし、あんな大きな書類入れが全部倒れるなんて… 誰に聞いても今回の様な大きな地震は初
めてだって。

義理の妹が茨城に住んでおり、現在4歳の双子を抱えているので、どうしているかと連絡をしてみ
たところ、ミルク、おむつ、ガソリンが手にはいらないので、千葉の旦那さんの実家に避難する
と言ってはいましたが、ガソリンが足りず車での移動は無理と判断。とにかく行けるところまで
行って、車は乗り捨て。
とにかく着の身、着のままだったそうです。まさにニュースで聞いたそのまま!!

宇都宮の主人の両親の辺りも結構大きな地震が続き、近所の学校の体育館の屋根が落ちて子供さ
んが亡なったり、多数の怪我人が出て、自分の家もかわらが落ちたりして大変だったそうですが、
仕事優先で義理の父は治療に当ったそうです。

さてニューヨークでは、遠くにいてもなにか出来ることはないかと多くの人が、日本の為に色々
な企画をしてくれました。本当〜〜〜に沢山!のチャリティーが開催されました。
いまはもう7月末ですが、それでもまだ結構日本援助の為のイベントが行われているみたいです。
震災直後は私もいくつかのイベントに参加しました。

次から次へと参加依頼が入り(何年も音信のなかった人から久しぶりに連絡がきたかと思えば、
またボランティアの依頼?....正直こんなときばっかり、と思わなかった訳でもない)。
中には開始時刻が夜9時、おまけにマンハッタンからめっちゃ遠い場所だったりで。まさか全部の
依頼にお答えできる訳もなく。私にも自分の生活がありますから。

あまりのイベントの多さに、最後にはチャリティーと称して、もう自分達の発表の場となりつつ
あるよね〜〜とも言い出す人もいる始末。

今までに一度もイベントなど計画したことなどない方達も、こぞってなにかしようとがんばって
いらっしゃるのですが、残念ながらノウハウはゼロ。
他の演奏と日が重なっていて伺おうことができなかった日があって、男の生徒さん2人に代わりに
行ってもらったのですが、後から話を聞けば、大きなコンサート(400席)会場になんとお客さん
6人。内訳は身内が2人(奥さんと娘さん)あとの4人は老人で演奏中ずーっと寝ていたそうな。
他の人といえば食べ物の所に群がっていたそうで。
当日発起人は挨拶にも来なかったらしい。もし私が行っていたら、会場に火をつけるか、会場ご
と持ち上げてヒックリ返してきただろうと彼らは笑う。
流石、付き合いが長くなると生徒も私の性格をよく知り尽くしている。
そうね …たぶんしたかも?

イベントの規模によっては消防、警察からの許可が必要だったりするようなのですが、全くそれ
を知らずに当日になってから大もめとか。
何か日本の為にやりたいという気持ちはわかりますが、多くの場合、最後になって振り回される
のは私たち出演者です。みんなで自費でレンタカー代を割って出かけて行って、本番前に問題続
出。気分悪いっていったらこの上ない。最後には流石にきつくなってきました。

ですが、このように様々な国の沢山の方が、日本のことをご心配くださり、惜しみない協力をい
ただけたことは心から感謝だと思います。

日本がこのような状態であった為に、4月、5月に予定されていた各地での桜祭りの開催がとて
も躊躇されていたようですが、サブタイトルが変更され“東日本大震災支援“となり、義援金集
めのイベントになりました。

私達が参加した一番大きなものとしては、Japan Societyでのチャリティーです。朝から夜まで様
々なジャンルの音楽コンサートが行われました。夜の部では、坂本龍一さんも演奏しました。

当日は朝11時から夜10時まで、とにかく分刻みのスケジュールだと聞かされていました。
私のところからは琴、三味線、尺八25名で参加の意思表示。
だいぶ話が進んでから、そんなに大勢舞台に乗らないかもしれないので演奏者の数を減らせと言
われて、は〜〜ぁ???冗談じゃない。
もう1ヶ月も前からリハーサルを始めているのに今更何を言うのよって。
主人に舞台の配置図を書いてもらい、楽器がちゃんと並ぶことということを図面で提示して相手
に納得してもらう。内心ほっと。
公演当日は比較的暖かく、お天気にも恵まれ朝からお客さんの入りも好調。
Japan society近くの国連関係の幼稚園でも同じ日にチャリティーコンサートがあり、一人の生徒
さんがそこで琴の演奏を頼まれたので、だったらリハを兼ねさせてもらって全員でっていうこと
になり、狭い〜〜ところで25人の演奏。
結構いい感じでぐつぐつ。でも文句は言いっこなし。
その幼稚園から2ブロックのところにJapan societyがあるので、終了後すぐに移動。
ぞろぞろみんなで楽器持って歩く。国連が目の前なので警備も厳しく、当然警官に呼び止められ
て説明。絶対になにか言われると予期していたので、英語圏の男子が対応に当たる。警官がご苦
労さまと言ってくれたらしい。ほぉ〜珍しい、警察官もみな嫌な奴ばかりではないみたい。


        みんなでだらだら移動。ご主人軍団大活躍!!ありがとう

会場の前まで行ったら、すでに外に人が溢れていた。おまけに食べ物の出店が並んでいたので、
そこにも人が群がっている。 クリームパン、カレーパン、焼き鳥、たこやき…私達にとっては凄
く魅力的な食べ物ばっかり!
なんでもいいから食べたいわ〜って、匂いだけかいで我慢。


     横でいいにおいを嗅ぎながら出番待つ。なんか犬みたい。

予定の時間より早く到着してしまい、大勢すぎて楽屋も狭く行くところがないので、 悪いけど外
で待ってくれと言われて…。
朝からのイベントが押していて、なかなか物事が動かない。
外で1時間弱待ってやっと会場へ。ちょっと〜分刻みじゃなかったんかい???


   外で準備。うるさくって声も届かないからみんなで顔寄せて打ち合わせ。

やっと中に入れて舞台へ直行。
音響システムやらなんやらで、舞台はかなり狭くはなっていましたが、ぜんぜん余裕の設置。
会場は満席で、ロビーにはスクリーンが準備され、入れなかった人達で溢れ帰っていました。
25名、気合いの入った演奏で良かったと思います。
みな参加してよかったと言ってくれたのがなにより。


   ここでは誰も手伝ってくれない。なんでも自分達でやるが基本。

その日だけで集まった金額は300万円(約3万ドル)と聞きました。
この寄付金がお決まりの消息不明にならず、海外のみなさまからの気持ちとして被災者の方々へ
何かの形でお役に立てると良いのですが….一抹の不安は消えません。
いまの日本政府はどうなっているか全く理解できない。政治家達は、自分たちを一度外から冷静
に見てみるとよいと思う。


        みんな本当によくがんばりましたぜ!

その後も、いくつものチャリティーと桜祭りに参加しました。


  マンハッタンを背に桜祭りに参加。コンクリートの上で座って出番待つ三味線チーム、足が完全に死んだらしい。
  お気の毒に…


ああ貯金がほしい

貯金といってもお金のこと(だけ)でなない。もちお金もほしい。

ここ数年凄く思うこと。
音大時代、そして内弟子時代。
好きなだけ琴が弾けたうちに、もっともっともっともっと練習し、何でも勉強しておけば良かっ
たって。それは普通の勉強においても同じ(かなり苦笑&後悔)
時間がたっぷりあるときに、もっともっと練習しておいて、その技術を貯めておくべきだったと、
手遅れの後悔。
すべてにおいて年と共にごまかしがきかなくなってきている。

が、が、生徒の手前、でき、ません…とも言えず!
手術後本当に動きが鈍く、すぐに腱鞘炎になるこの右手。ああこんな筈ではなかった。
いま許された時間の中でできる事を、出来るだけやるということにしています。


          ハドソンリバーに浮かぶ船の中での演奏会。

窓の外がマンハッタンの夜景でそれが有名なホール。 もちすごい揺れる。
私演奏中ずーっと船酔いでふらふら!

この9月からコロンビア大学で邦楽(琴と尺八)のクラスが始まります。
週に1度の技術中心の授業です。コロンビア大学には既に数年前から雅楽のクラスが設けられてお
り(ニューヨーク天理教の方々の指導の元)年度末には大きな演奏会も行っており、年に1度宮田
まゆみさんや、雅楽の演奏者が日本から指導&演奏にいらしています。
雅楽で楽琴が使われており、琴の存在を知っている人は既にいるので、初年度ではありますが、
沢山学生さんが来てくれたら嬉しいと思います。
92年にウエスリアン大学音楽部で教える為に渡米した当時の記憶が甦ります。

あれから20年。
なんか昨日のことのようにも思えます!(流石に昨日ってことはないか)
こうして20年経って、また違う大学で若い人達と触れ合え?一緒に演奏できるって、私にとって
は素晴らしい機会です。


ニューヨークの新宿歌舞伎町

15年住んでいるマンハッタンですが、用事がないとあまり行かない場所とかもあるので、実は知
らない事がいっぱい。

先日、生徒さんに北京ダックが美味しいレストランにご招待いただいて家族と一緒に行った帰り、
お店の外で立ち話をしていると、近くで黒服の日本人のお兄さん達がイヤーフォーンをして、な
んかちょっと違う雰囲気を醸し出してた。
その辺りに詳しい彼女の話では、レストランの隣のビルの2階に日本のクラブがあり(他にも沢山
あるのですが)道で客引のお兄さんが日本人に声をかけているんだそうです。なんかよくテレビ
で見た事がありそうな。
「3名様ご案内しておりますう〜〜」とか言っているのが聞こえてきました。

うちの主人もウロウロしていたら「こんばんわ〜、何かお探しですか?」と声を掛けられて「走
り回っている息子を探しています」と答えたら見事に無視されたって。30分くらい外にいました
が、その間にぞくぞくとやって来るくる日本人サラリーマン(たぶん)日本のクラブを求めて!
ちょっと凄いものを見た。


      太鼓、琴、習字、日本舞踊のコラボ。こんな公演が盛んに行われてます。


明日から休暇で3週間日本に行きます。(この原稿を書き始めて6ヶ月、やっと終わった)
息子の幼稚園が8月はお休みなので、その間は日本に帰るしかなくって。
私は日本で整形外科、婦人科、歯医者、滞在中ずーっと医者通いの予定。
全くなんてことでしょう!

帰国の為、事前の私の予定を特に密に組んでいたところに、またもや今年も待ってましたとばか
りに息子が42度の熱。急性白血病の疑いありと診断されて、夫婦で腰が抜けた。救急ですぐに病
院に入り、その日から私の予定は音を立てて崩れる。病名を聞いて流石に心配になり、今回ばか
りは息子を家に連れて帰れないのかも?と一瞬思ったりもしたが、最後にウイルス感染症との診
断で家に戻れた。

産まれた時からの記憶が頭を巡った瞬間。自分の腕の中にいるうちに可愛がっておかないとなあ。
子供って急に具合が悪くなり、嘘のように元気になる。
君、病院にさっきまで入っていたよね?って旦那。

終わった事は振り返らない。家に帰って予定仕切り直し。休んだ分、どんどん予定が後押しにな
って、イライラ度100%

日本のみなさまには申し訳ないですが、クーラー病で体がだるくて仕方が無いし、なかなか思う
ようにいかんな〜本当に大変。

では日本に帰ります。
滞在中は毎日さしみ、桃、お寿司食べるのだ!


その51 2012年1月15日

明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます


    正月早々なんですが…今日って下着で歩く日??なんのイベントでしょうか?



昨年は一体どうしたことか、本当に時間の余裕がなく、コンピューターにゆっくり向かう時間がなかった。で、ついに年を越してしまった…。

基本的なところ、息子が起きている間にゆっくり一つのことをするのは無理。

幼稚園に行っている間に、練習、買い出し、洗濯、そうじ..ETC.

で、彼が寝るのは私より後。当然何もできる訳がない。朝の早起きにも限界が…



息子が産まれてから過去5年間は、日本でお正月を過ごしていましたが、今年は夏に帰省したので冬は帰国せず。久々のクリスマスとお正月をアメリカで過ごしました。

不景気ムードはあるものの、綺麗に飾り付けられた街の中を歩くのも意外と悪くはないかなって。

息子の為に、そんなに大きいものではありませんが、クリスマスツリー(12月のはじめから、あちこちの道でもみの木を売っている)を買ってみました。

素敵な飾り付けを外で見て楽しんでくればそれでよい訳ですが、家にあれば、それなりにまた気分が盛り上がって良かったです。

日本ではお正月の方が重要視されていますが、こちらではクリスマスがメイン。

それが終わると、年末まではなんとなくどんよりムードが漂い、普通は学校も仕事も2日から始まります。

なので、ここではお正月気分が味わえずちょっとさみしい感じさえしています。

今年は週末と重なったので、振り替えで2日までお休みでした。

ちょっとラッキー!





ウオールストリート 抗議デモ


主人の会社がウオールストリートにあり、デモが凄いから一度見に来たらというので、興味深々でカメラを持って行ってみました。

公園で寝泊まりをしてデモ運動をしている人の多くは、20代?30代が中心で基本的に高学歴な人だったそうです。テントを張って生活こそしているものの、その中に事務局、食堂やゴミ捨て場がしっかり作られていて、きっちりと整備されているのには驚きました。


        なかなかしっかり管理されていた



若くって実力、才能がある人達がその力を発揮する場所がないという状況。

たしかに困ったことですよね。このところ世界中、なにかがおかしい。

世界的な不景気でみなが大変な時期ですが、2012年、回復に向かうように願わずにはいられません。





お正月の演奏


大晦日と元旦は嘘のような小春日和でした。

信じられないくらい暖かい大晦日だったので、部屋の窓を開けたら、タイムズスクエアーでの年越しイベントの賑わいが聞こえてきました。タイムズスクエアーまでは歩いて10分もかかりませんが、いくら暖かいとはいえ、やっぱりとても行く気にはなれません。一端通行止めの場所に入ったら、年が明ける12時までもうトイレにも行けないらしいですよ。みなさん朝からその場所で待機しているらしいです。と言うわけで、私はTVで中継を見れば充分。



翌日の元旦は大手の日系スーパーで演奏

他に餅つきや獅子舞、太鼓の演奏もあり、その場にいれば結構お正月気分が楽しめます。

ニューヨークではやや割高ながら日本の物がかなり入手可能。買う買わないは別にしても、便利で嬉しい事です。

場所が場所なだけに、勝手にお客さんが集まってくれるので良いのですが、やっぱりスーパー



       もの珍しさも手伝って



ステージの後ろで食器が割れる音、子供の叫び声、モニタースピーカーがないので、音がどう出ているのかも把握できないまま終わる。もうなにがなんだか…ねえ。1週間前に演奏することが決まったため、準備時間がなく、フルートを吹く生徒さんに尺八の代わりをお願い。

元旦でも朝の開店9時から満車になるそうです。

お客さんの殆どが日本人ではなく、アジア系の方が多かったのにはちょっと驚きでした。

“千と千尋”を弾いたら、みんなが一緒に唄ってくれてよかった。

やっぱり小難しい曲ばかり弾いていてもだめだな?ってつくづく思った次第です。





2011年に戻って…


子供は大変!

ニューヨークで ある舞踊家が40周年記念公演をされたので、 三味線の演奏で参加したのですが、プログラムの最後に東日本大震災の復興を祈るシーンがありまして、子供達が灯籠を持って舞台で祈るという大役(!)をうちの息子と同年齢の子供3人が仰せつかいました。

やることはなんともないのですが、前日のリハーサルから本番の出番まで、待ち時間が長い!

とにかく3?6歳の4人の子供達、一時もじっとなんかしていられない。ホール内を走り廻って、それに親がついて走る。で、出番は3分ときた。(正直、やってられませんね)本番は子供達も着物という指示でした。



            殿と下駄番?



うちの子以外は、七五三の時に作ったもので随分ご立派なお召し物。羽織までついている。それに比べうちの息子、人からいただいたかすりの着物で、サイズも合っておらず、何度腰紐を結んでもすぐにズリ落ちてきて裾をひきずって歩いている…。きゃ??なんとも惨めな姿。

写真に収まる4人の子供達。どうみても私にはお殿様&百姓にしかみえなかった。







5歳の七五三に行きました。


3歳の七五三からはや2年???冗談のように時間が過ぎるのが早いですね。

年々参加者が増えている七五三。

今年は着物のレンタルをお願いしたのですが、着せてもらっている矢先から、何時になったら脱いでいいのかとぶつくさ。

着物がムーチョ大きく、取りあえず式典の間だけ落ちてこないように補強してもらったけど、着付けが終わった時点で親も子もぐったり。とにかく1時間だけぐずらないでいてくれるように祈る。


                           不服そうなこの顔



今回は着物の子が多かったのですが、式典が始まる時点で前の席の女の子が、綺麗に結われた髪を残し、着物脱いじゃってパンツとシャツだけになっていて、正直びっくり。 お母さんは2子を妊娠中で思うように身体の自由が利かないからだと思うけど、もうお好きにって顔してたなあ。折角のイベントなのに…ご両親のお気持ちお察し致します。





ハワイ公演


           昔はバリバリの波乗りサーファーだった私。



沢井筝曲院ハワイ支部、創立25周年記念コンサートが10月にハワイ大学にて行われました。

仕事と育児に追われるうちの主人をねぎらう為に!家族で行った。

同じアメリカの中でもハワイって特別な場所。アメリカ人でも行ったことない人は多い(行ったことある人の方が少ないかも)。バケーション先としては、ハワイはかなりの高級地。



いまから25年前、沢井一恵先生が琴のインストラクターとしてハワイ大学に後藤真起子さんを派遣(現在オランダ在住)その数年後、小田村さつきさんがオーストラリアへ。

小田村さんとは1年間内弟子でご一緒させていただいていたので、出発の日成田空港へみんなで見送りに行きました。

九州の佐世保から見送りに来ていたお母様が、飛び立ったさつきさんの飛行機を小走りに追いかけ、ずーっと目頭を押さえていらした姿がいまでもくっきりと脳裏に焼き付いています。

数年後の1992年、サンディエゴ大学へ坪井紀子、オランダへ嫁いだ後藤さんの後任として日影しょうこ、コネチカット州のウェスリアン大学へ私が、同時に出発。



あれから20数年。いや??見事にみな老眼鏡のお世話になる年齢になっていました(大笑)。

どこを手術した、こんな薬を飲んでる、ところで更年期はどうよ?なんていう話で盛り上がる。



20数年前、涙して日本を出た時、こうしてまたみんなでハワイで集まれるなんて誰が想像したでしょうか?

今回は、元パイロットのご主人とアメリカのオレゴン州に住む太宰満木さんも参加。嫁いでタイ人となった坪井さんは、今回残念ながら欠席。

ニューヨークからは私の生徒も3人参加させていただきました。

生徒の一人はハワイ大学在学中にお琴を始めたアメリカ人男性なのですが、一度フロリダに引っ越したものの、数年後にまたニューヨークに舞い戻ってきて、通算18年お琴弾いているらしいです。

日本人でもそうは続かないのに、まあよくがんばってくれているな?って感心。



渡米当時、大学が夏休みに入ってもどこにも行くところもなかった私と坪井さんは、暖かい土地にいる日影さんを頼って長期で遊びに行っていました。

その頃にお世話になった方々とも今回お目に掛かることができたことは、本当に嬉しい限り。あの真っ青な空の下でゆったりした時間を過ごしているからでしょうか? みなさん揃って大らかでフレンドリーな方ばかり。



                 素敵なドレスでした。 Partyで会長が自らcutしたケーキをパクリ。

ムームーがよく似合い、ご自分で制作されたというドレスがよくお似合いのみなさん。

日影さんがハワイからサンフランシスコに引っ越した後、ハワイ支部のリーダーを務めるダーレン.宮城くん。みなさんをよく取りまとめ、会場も満席で熱気溢れる演奏会となりました。

一恵先生にお目に掛かるのは5年ぶり。

旅のお疲れもなく、お元気なご様子でひと安心。

ひかる会長は以前よりも貫禄が出てきて、リハーサルで発する言葉一言一言にとても重みが。

ひかる会長は上目黒?にあるなんやらという、えっら?い辛いラーメン屋に通っているらしい。ニューヨークの日本人の生徒さんから、そのラーメン屋でひかるさんらしき人の写真を見たと聞いていたことを思い出し、その話を持ち出したところ、いまでも週に1回は通っていると聞いて更にびっくり。

“半端なく辛いから、まーちゃん今度帰ってきたら連れてってやるよ”

次回帰国の時、是非会長と一緒に行ってみよう。

内弟子の頃、ヘビメタのコンサートの時には、ひかる会長は長くしていた金髪を逆立ててお出かけだったのですが、“ちょっとスプレーするから髪持ってくんない?って頼まれた、そんな時代を懐かしく思い出しました。



ハワイ滞在中一番面白かったのは、後藤さんと小田村さんの小競り合い。

昔からまあ喧嘩ばっかりしていたらしく(有名な話)今回もことある事に喧嘩してる。

その喧嘩の仕方が独特で、そばで見ていて笑えること。

絶妙&真剣な喧嘩。部外者には面白すぎ。本当にむかつくと!ってお互いマジで怒ってる。

この2人が顔をずーっと顔を合わせていたら、数分おきに小競り合いだろうな(笑)。内弟子時代のよき仲間、この2人だからこんな喧嘩が出来ると思う。

すばらしい仲間、最高の財産だと思う。



         一恵先生と光会長と打ち上げで海外チームのみんなと

2年後には、オーストラリアで20周年記念演奏を企画している小田村さん。

ニューヨークの生徒3人もすっかり行く気。早速日程を手帳に書き込み再会を約束した。





コロンビア大学 邦楽クラス開始



昨年の9月からコロンビア大学で邦楽のクラスが始まった。

現在は琴と尺八、それに数年前に始まった雅楽。

学生は音楽専攻に限らず単位も取れる。

初日には1人しか登録に来なかったのですが、結局翌週には希望者が4人に増えなかなかの出だし。



週に1回、1時間半の授業。

4人全員女性で、一人は中国の琴(古箏)を弾き、もう一人は日本留学の時に少し弾いた経験あり。あと2人は初めて。

学校にわざわざこなくても練習ができるように、私の楽器2面を貸し出し、お互いの部屋を行き来し、よく練習してどんどん上手になるなる。

11回のクラスを終えて、12月には演奏会を行った。

夏の日、若葉、花筏の3曲。12月だったけど、浴衣を着て演奏に望む。

この演奏会の前日に、ニューヨークの生徒さんの勉強会を行ったので、そちらにも参加し、予行演習もばっちり。

勉強会でも4人はとても初心者とは思えない程落ち着き払い、他の生徒さん達も絶賛していた。自分が弾いた訳でもないのに、私は鼻高々。

翌日大学での演奏会でも更によい演奏で、教授陣にも一学期でここまで弾けるようになるとは思っていなかったとお褒めのコメントをいただく。



10月半ばには、当時就任したばかりの野田総理の奥様が外交でニューヨークにいらした時に、邦楽のクラスを訪問されました。

音楽大学(声楽)を卒業されているので、邦楽のクラスにもご興味があったようです。



                   野田総理夫人

総理夫人は、正直想像していたよりもずーっとお若い方で、「お琴ってすぐに弾けるようになるのですか?」とおっしゃったので、「はい、この子達のような若い学生さんは、うらやましいくらい吸収力がありますので、すぐに弾けるようになりますね」と答えたら、「いいえ?先生も充分にお若いですよ」「いや?そうですか?……」みたいな、ちょとおばさんの会話。こんなんでいいのかなあ?





ブラジル公演


国際交流基金からの派遣で、ニューヨークの尺八のマルコさんと、オレゴン在住の同じく沢井の太宰さんと私の3人。


                   5ドル払うと青のライトをつけてくれます、綺麗ですね



今回はブラジルの首都のブラジリアとレシフェに行って来ました。レシフェは海沿いの素晴らしい所でしたが、とっても治安が悪いと聞かされて、フリー時間でも、怖くておちおち外にも出られませんでした。

いまのニューヨークは安全でパラダイス状態。

最近は殆ど怖いと感じることが少ないので、私もちょっとびびってしまって。

それよりも更に困ったのは、言葉が全く(ゼロ)分からないこと。英語も殆ど通じない。そういえば数年前に行ったときも、同じ言葉の問題で困った思いをした記憶が。

語学達者のマルコさんだけが頼り。彼が珍しく飛行機の中でポルトガル語の勉強をしていた。彼なら何語でも自然に喋れると思っていたけど、なかなかそうはいかないようで…。6カ国語を器用にあやつるので「めずらしい、マルコさんでも勉強しないと喋れないの?」って聞いたら、“まさよさんは勉強しなくても出来るの?”って言われて。おっしゃる通りです。はじめっからやる気がなんかなく、あなたを頼るつもりでいます…と顔に書いてあったことでしょう。



                     観光するところもなかったブラジリア?!

ブラジルは経済大国とはいうものの、なかなかそうも思えなかった


ブラジリアでは、出来たてホヤホヤの会場での演奏会。

首都なのに、殆ど日系人がいないこの地区。ていうか、人があまりいなかった気がしないでもない。はっきりいって寂しい感じの街かも。

大使館の方も蓋を開けてみるまで、お客さんの入りについては分からないというので、ちょっと心配していたのですが、午後には幸い雨も上がり会場は満席。

曲の間に日本音楽の歴史や楽器の説明、衣装の話などをはさんだことで、お客さんとの距離がとても縮まったような感じ。会終了後には沢山の人が舞台に上がり、お琴を弾いてみたり、楽譜を見たり。奏者と聞く側が同じ高さであることの必要性を感じました。





                     果物の先についているのは、マカデミアンナッツですよ。

カボチャの中に日本のシチュウーみたいなのが入っていて、めっちゃ旨


翌日飛行機でレシフェに移動。

こちらでは音楽大学での演奏と、日本のお祭りで2回の演奏



音楽大学での演奏は“マラソン音楽会”と名付けられ、1日中色々な楽器でのコンサートが続いていました。勿論みなさん音楽家の卵で聞く側にも熱気があり、客席に吸い込まれそうな雰囲気。この人達の前で間違えたら、曲知らなくっても絶対にばれるよねえ?、ちょっとやばいな?って、素人発言(勿論わたしです)。

最後の曲になって、尺八吹きがいきなり舞台から消えた。はい、間違った尺八持って出てきてね。すぐに帰って来ましたけど(笑)



次は日本祭り

ブラジル人のノリはすごい。半端ない。日本総領事が舞台で開催の挨拶をしているのに、その前で数百人が“酒、酒、さけ?、sake?!!”って大合唱。

何が凄いって、そんな話はいいから、とにかくさけよこせ??!!って。

でもある意味、日本酒がこんなに人気があるのも素晴らしい事。



             凄い人気の日本酒



あとやっぱりいたいた、沢山いた。

最近どのイベントにいっても必ずいるコスプレ軍団。群をなしてる。

私達も流行のアニメの唄を演奏したら、たぶん喜ばれること間違いなし。

という訳で、今年の桜祭りはアニメ曲を数曲演奏することにしています。



3月には宮田まゆみさんの笙、篳篥、龍笛と三味線の曲を演奏があって、このところ毎日楽譜とにらめっこ。にらんでないで練習しろって話ですが、地唄三味線弾きにはこの手の曲は難しい。ああ?上手くいくかどうかすっごく心配。



昨年末から突然右手の肘が腱鞘炎を再発、今回は結構ひどく、朝は手のひらが倍くらいに腫れてるし、左手の親指は物が持てないくらい痛む。今回はなんでこうなってしまったか、全く原因がわからない。

ステロイド注射はもう何度も打っているのでこれ以上は無理。(組織が死ぬらしいです)日常生活で包丁を持つのも大変になってしまって、練習どころじゃないなあ。さ?て、この先どうなることやら。



今月は息子の小学校入試も月末に控えているし、夢のような正月気分は一瞬にして終わった。5歳の子供に毎日試験勉強させるっていうのも、なかなか酷な話。

自分の5歳の時を思い出してみたらわかること。でもマンハッタンにいるから仕方がない。



暖かかったお正月はいずこに?今日はマイナス10度。手袋の中の手がしびれています。





その52 2012年9月7日

ああ、もう夏が終わってしまいそう!
ああ、もう夏が終わってしまいそう!


        NYの花火は高層ビルの間から見ます

今年も7月半ばから夏休みで日本へ行ってきました。
空港に着いた日、東海地区が梅雨明けしたっていうニュースが流れて、それから戻ってくるまで暑すぎてもうなにがなんだか。

日本ではあれも食べたいこれも食べたいと、自分の中で夢は膨らんでいましたが、連日あの暑さでは流石の私も食欲なし。
母が心配して、少しでも食べないと体力なくなるし、熱中症になるといわれるくらい食べられなかったんです。この私が…食べないっ
て!!!そりゃ?えらいことですよ。
他にあまり食べたくないもう一つの理由が。
このところ、空気吸ってもどんどん太る感じ!
そんなに食べてないのに、ここまで横幅が広く&大きくなるのは、逆にどこかが悪いのではないかと主人や妹は言います。
でもきっと年齢&体質なんでしょう。

今回ばかりは、日本で会う人あうひとみんなに“あら?貫禄でたね?”って言われて、ホントつらい。なんで私だけが。
頭の中はモヤモヤ。
まあ理由なく痩せていくよりはいいかもしれないけどぉ。



 うちの近所にさりげなく飾られています。いま問題になっているオスプレイですよね?
  見た目は奇麗ですが、食べるとなると...どうかな?


で、いま家族で時差ぼけと戦っています。
息子は3PMに寝てむっくり1AMに起きてきて、夕ご飯を食べてないって言うのです。意外としっかり記憶があるんだと感心。
え??さっき食べたの忘れたの?って誤摩化してとにかく寝かせる。でも朝5時半に起きて“ママお腹すいた、お寿司食べるわ”って。
ここには”すし”なんかね??っちゅうの。

私は夜中から起きていて、朝5時になってもお目目ぱっちり。なので、昼間全く頭が働いてないです。
年を重ねるにつれて、時差を直すのは難しくなってきたか。


今年はとにかくなんかついてないみたい

なんか、この春はさんざんだった。
今回日本で、長年岐阜で同門だった琴の後輩が、占いを勉強しているというので、ちょっとみてもらったら、どうやら私今年なんか悪
いそうで。
大きな仕事は逃す=お金がない、大きな買い物も凶、唯一喜ばしい事は健康が現状維持らしい。“ひゃ?大当たり”みたいな気がする。

たしかにこの春頃、来た仕事次々にドタキャン、おまけに先方のあまりの対応の悪さに、まじめな話、裁判起こしたろうかと思う程、
怒りに震えるものもあったなあ。
ある有名日系企業の名前もここで上げてやりたい!!
人の手配もしてから…。そういうのって本当に落ち込むし、自分のやっていることに自信が持てなくなっちゃうんですよね。

毎晩私からネチネチと愚痴を聞かされる旦那が、そのうち病気になるか、私の怒りが消え失せるのとどっちが早いかってところ。
仕方がないこととはわかっちゃいるけど、一言“むかつく”。
わかってます。誰でも巡りの悪い時期ってあるんですよね。
来年は今年より全体的に少しはいいらしい。
大きな買い物もしてよいと言われた。が、先立つものがない。


昨年9月から始まったコロンビア大学のクラス

1年目が無事終了し、9月から2年目に入ります。
5名の学生さん、よくがんばりました。
男の子は1人。1人はイギリス人で日本で琴の演奏の経験有り、1人は中国人で中国の琴を弾くので、これまたなんでも器用に弾いて
のける。であとの3人は初心者。
週1回1時間半のクラスで、すでに違うレベルの人が一緒に同じ曲を練習するのはなかなか大変。

先生自身、時間に追われながらで、まだこの状況に慣れないせいもあって、混乱して下手に間違ったことでも言おうものなら、すぐに
指摘されて萎縮。
ここの学生達は、想像するに子どものころからなんでもきっちりやることを身につけている感がありますね。

試験の時期と学期末演奏会の時期が重なっていて、一人の学生は3日間で分厚い本を18冊読まないといけないと言って本を見せてく
れたのですが、ぶっちゃけた話無理っしょって思った。が、勿論読んだでしょうね。進級&卒業がかかっていますから。
アメリカの大学生は半端ない勉強量。
日本の大学生とはた.ぶ.んちょっと違うかも??

昨年の学期末演奏会では3曲を浴衣で演奏。
なかなか出来で、教授陣も3ヶ月でここまで弾けるようになるとは思っていなかったようで、かなりよい評価を頂きました。

ちゃんと真面目にやれる子達だと思ったので、学外での演奏会にも出てもらうことに。
毎年行っている桜祭りのイベントに出られるように、1月から練習を始めましたが、琴を始めて4ヶ月程度で,普通に難しい曲で参加
するのは大変。でも誰でも目標がないとなかなかがんばれないし。
で、予想通り音源を送ったらみんな顔が硬直してた。

今年は『高峰譲吉さくら寄贈100周年記念のイベント』が全米各地で大きく行われました。NYでも特別なイベントがあり、日本から
は歌手の加藤登紀子さんがいらしてました。
イベントの内容と桜が具体的にどんな関係があったのかはわかりませんが、ハーレム本場のゴスペル軍団(凄く貫禄があってすばらし
かった)やら、日本人ゴスペルチーム、日本人のJazzグループ、日本からの太鼓のグループなどが出演。



             毎年恒例の桜祭りで


イベント当日はニューヨークのテレビ局が来ていて、さくら=琴だと思ったのでしょうか?
テレビには着物姿の私の映像だけが流れ、一緒に演奏した男性のアメリカ人生徒は、まるでそこにいなかったかのような扱い。
現場の外国人アナウンサーは、日本をそのままNYに持ってきたような出し物が集結したコンサートです!と声高らかに言っていたけ
ど、それはどうかなって?
電波は絶大な影響力があるけど、現実と異なった報道って(テレビ的にいい報道)どうなんだろうって思わないでもない。
まあ関係ないからどうでもいいけど。


第2弾 またNYの住宅事情です

我々庶民でも不景気の底は脱したかと感じられる今日この頃。
あとはもっと回復していくのを待つだけかな。

良いのか悪いのか不景気に伴い、アパートの家賃もこの3年間変わらずにいたのですが、当然経済状況が上向けば、家賃もまた毎年
少しづつ上がっていきます。
日本の感覚からすると、マンハッタンの家賃は想像出来ないくらい高いみたいです。
小さい2つの部屋で月25-35万円なんていうのはざら。運が良ければお部屋3つ。

数年前までは、その部屋に長く住んでいる人に限り(たぶん20年以上)家賃の値上がり率が少ない『レントスタビライズ』という住
人を守る法律があったのですが、それでは、毎年上がっていくニューヨークの税金をビルの持ち主が払って行けないということで、い
きなり廃止になりました。
法律で決められた年以降に入居した人は、大家が上げたいだけ値上げをしてもよいということになってさあ大変。

同じビルの同じサイズの部屋に住んでいても、レントスタビライズの人は月に1000ドル以下(400ドルくらいの人も沢山いるらしい
)その一方、新しく入居してきた人は月に3200ドルなんていうのはよくある話です。

周りの環境がよくなり、エリアに人気が出てくると大家は人の足下をさらうようなことを平気でします。まさにこれがニューヨーク。

私達も現在当然レントスタビライズではないのですが、4年前に今のアパートに越した理由は、前の大家が家賃をいきなり月800ドル
(当時約約8万円)も値上げしてきたのです。
エレベータなし、洗濯機もないアパートは、子どもが生まれたあと流石にきつくなりお引っ越し。

毎月ちゃんと家賃も払っていたのに、人情も情けもない。
でもニューヨーカーはそんな事に慣れているから、さらっと引っ越して行きます。引っ越し大嫌いの我が家。引っ越し魔たちが信じら
れない。

日本で生まれ育って、自分たちはある程度人情や情けっていうものを知っていると思っているので、この800ドルという値上げが信じ
られず、その時にはどんなにショックを受けたことか。

毎月捨てているように感じられる家賃
これだけ家賃が高いと、相当な高給取りでない限り、夫婦共稼ぎでもない限りどうよ!って話ですが、一般的には庶民の給料の半分近
くは家賃に当てられるといわれています。
それがあまりにも精神的にもきついので、そろそろ部屋を購入しようということになり。

が、ここからが大変。
主人と色々考えた結果、やっぱりこの先もいままで通り、自宅で教えるのが便利ということになり。
マンハッタン内にそびえ立つビルの8割は住宅、残り2割はオフィスビル。

その住宅ビルにも2つの種類が有り、コープと呼ばれているものとコンドミニアムに分かれています。NYの殆どのビルはコープビル。
この2つなにが違うかというと、コンドはその部屋自体を購入、コープは住むための権利を買うもの。
どちらにもボードという住人で組織された組合があって、コープ購入時には彼らとの面接があり、そこで最終審査があり、入れるかど
うかが決められます。コンドミニアムは面接なし。

どちらも部屋で音楽をすることはまだよいとしても、沢山の人の出入りをよく思っていないビルが殆ど。玄関には制服を着たドアマン
がいて、どこの部屋を訪ねるかを告げないと入れてくれません。
まあよくいえば、安全が守られているってことなのですが、私には結構これがうっとうしい。

いまのアパートにはドアマンがいないので、誰が来ても全然大丈夫。誰に文句を言われることもないので、自宅で教えているのも問題
なし。幸いご近所様からも音についての苦情は一度もなし。

できれば音を少しでも気にしなくてもよい角部屋、戦前に建てられたしっかりした作りのビル、生徒さんに来ていただく為に交通の便
がよいエリア、そして一番肝心な事、この9月から1年生になる息子の小学校のよしあし等、かなり難しい条件をクリアーできる物件
を見つけないといけなかった。
この条件を満たす部屋を見つけるのはちょっと難しいのではと言われていたのですが(自覚あり)コープで気に入った部屋があったの
で、購入を決めてその後4ヶ月の準備期間を経て、最終のボードの面接に挑みました。
事前に音楽を教えることも言ってあったのに、なんと面接の時に楽器を持ってくるように言われ。それも実は驚き。

重苦しい?雰囲気の面接では、あきらかに人種差別をうけているのを実感。
あとから聞いたのですが、どこの国の出身か尋ねるだけでも、人種差別として訴えることができるそうです。
面接では音楽を教える事について話が集中。
移り住んでから、問題があっても困るので、あまり嘘も言えず、そこそこ正直に質問に答えたのですが、その返事にボード達も困惑し
ている。本当に根掘り葉掘りとはこういうこと...。
年齢層、どんな人種の生徒が日に何人来て、どうやって教えているのか等々、想像していなかった細かいところまで聞かれた。
主人も私も、もうその時点でこりゃXだな?って直感。

不動産屋がちゃんと話を進める前にボードに何度も問い合わせて、音楽を教えることに関しては問題ないとの了解を得ていたのに…
今更なに??
だったら、はじめっからダメだといってくれよ!!

2日後に正式に連絡がきてやっぱりX。
たぶん日に2?3人来てレッスンするだけであれば、きっとokだったと思うけど、日に9?10人という数はちょっと通らなかった。
この返事から2日後に、面白いことに何故か売り手側の弁護士から連絡が入り、音楽をしないのであればボードがもう一度考え直して
やってもいいといっているが…どうですかと。
始めから教えられないのであれば、その場所を選ぶ理由は全くないのです。
彼らの言っていることが理解出来ず、もう頭が真っ白に!
私達の弁護士も呆れていた。

不動産屋さんでも言いますが、コープ購入の準備は本当に大変。(まじ大変です)
普通は無事に面接が終わってhappy endで終わるのですが、うちの場合は…冗談抜きで人生の底を見えたような気さえしました。

この20年、一生懸命教室を大きくし、それを継続できるようにと、やってきた事の結果がこれですか??
こんな仕打ちに、正直なかなか気持ちの整理がつきませんでした。
ですが、箏があってこそ自分の人生。いままでと何も変わらずやって行きたいです。

ショックから立ち直れず4?5日間は呆然と過ごしましたが、その直後息子が小学校入学試験に合格。
彼の学校の心配もなくなり、さあ?復帰の時期です。
立ち直り早!(笑)
次はコンドミニアムを探してみよう。



この母にしてこの子  でも息子の方がひどいと思いますけど


P.S.
今回の一件で色々な部屋を見ましたが、わかったのは3億円、5億円なんていうお部屋はマンハッタンにはざらにあり、10億円以上
も結構な数あるってこと。そんな金額の家が現実に売れていることも事実。
どういう人が買えるのかと不思議でならないのは、私だけか?


Japan Week

6年前ぶりにJapan Weekが開催されました。琴6人で参加。
2日間マンハッタンの中心にある電車の駅の構内で行われましたが、今回は震災被害がひどかった福島、茨城辺りの物産が沢山紹介さ
れていたり、復興活動の動きも多く見られました。

前回の様に景気がよい時期でないからか、日本の伝統技術を見せるような職人さん達がどなたもいらっしゃらなかったのが少々残念で
した。

偶然駅を通りかかる人たちがお客さんですから、やはり衣装も大切です。着物姿はいまや全く珍しくもない訳ですが、それでも人目を
引くことは確か。


            やっぱ観客が多いとやる気がでますねえ! 


音楽で勝負なんていうことを思った時期もありましたが、あ?情けない、この腕じゃそんなことはままならない(残念)
ちょっと前まで若かったという美しい記憶を胸に、みんな頑張っています(笑うしかない)。


三味線音楽

コロンビア大学では毎年雅楽の演奏会を行っています。
今年の3月には、そこに新たに三味線と尺八が加わりました。

6年前に雅楽のクラスが設けられてからは、毎年春に笙の宮田まゆみさん、篳篥の中村ひとみさん、竜笛の笹本武さんが指導とこの演
奏会の為に日本からいらしています。

今回は三味線と上の3つの楽器が入った曲を、私が演奏させていただくことになり。
初演ではなかったのですが、事前に音源が送られてきて、地唄三味線でこの曲が演奏できるかどうかと判断をゆだねられたので、無理
ではないけれども、もともと地唄三味線で弾くようには出来てはいないと返事をしたのが地獄の始まり。
その曲をやることに。なんで“可能”かもって言ってしまったんだろうと後悔!

実際楽譜が来たら、さらに目が点。
普通は地唄三味線では弾かないっていうか、弾けない技術が一杯。糸譜にするだけで予想以上に大変すぎて、もう始めっからテンパっ
てしまって。
少しでも細かい個所が指定通りに弾けるように撥を長唄ようにして小さくしてみたが、今度は手の感覚が狂ってしまって、糸に撥が上
手く当たらない。(はい、私の技術不足です)
とにかく練習始めるしかない。いずれ本番はやってくる。
貰っていた音源をいつも聴いていました。
初演されたご本人にもメールで注意事項などお話を伺ったのですが、一言freeな感覚で弾けばいいと思いますと。
その音源は、楽譜からはかなりfreeに演奏されていたようで、すっかりその音の流れが癖になってしまって、最後には楽譜通りって
何?こういうのって、本当よくないですね。反省です。

おまけにまた再発していた右肘の腱鞘炎の悪化で、水平に腕が上がらなくなっていた。あまりにも連続で叩く的な音が多いので練習も
忍び駒で行う。アパートでは流石にちょっと…。
津軽三味線の練習なんか絶対に無理じゃないかと思っちゃう。


                なんでも自分たちでやらないと…舞台が狭くてもう歩くところもない


本番の日
リハーサルの時、調弦していたら三味線の音がなんかおかしい。
皮は破れてないし、糸も全部取り替えたしな。
なんで?ってずーーっと思っていたら、楽屋で気付いた。
駒が真ん中でひびが入って割れている。
10年近く使っている駒がなんでいま、今日割れる???
焦!
何か悪いことの始まりですか。

手は痛いし、本番までの間もう練習する気力も残ってなくって、楽屋でだらだら。
出番のちょっと前になって衣装の上着を忘れたことに気付く。
本番の前じゃないですよ!出番の1曲前に。
手伝いに来てくれていた生徒も絶句。

もう本当に足が震えてきたと同時に、ちゃっかりまわりにいる人の服を見渡す自分にちょっと感心。なんか借りられないかしら?って。
でもみんな真っ黒。
シルバー系でまとめるようにという指示が出ていたから、何も借りられない。

仕方なく私服で着てきた白のカーディガンを着る。
なんとなく変だけど、衣装なんかもうなんでもいいわ。

さて、次は何?
途中で糸が切れる程度じゃなろう。いきなり皮が破れるか?

もう悪いことしか思い浮かばない。
破れるなら破れてみろ!
こうなったらもうやけくそっていうのは嘘で、母と同じ年の生徒さんが、何かあったらすぐに舞台に出ますからと言ってくださったの
で、すごく安心していられた。有り難いことです。


やっぱり大人気の日本食

メトロポリタン美術館のパトロンルームで“うまみ”と題した日本食のお食事会があった。
私は食べた訳ではないです。演奏で行っただけ。
有名な京都の料亭『菊の井』の料理長がみずからお出ましになり、約150名お客さん。

お弁当をいれる桐の箱も、日本で使っているものを持ってきたのだそうです。
桐の箱に美しく盛りつけされたお料理を見て、本当に感激。
一つの箱の中に景色があり、物語があって、それを目で楽しみ舌で味わう。あまり深みのないアメリカ料理と比べものにならない。
人気がある筈だとつくづく思う。
お客さん全員がアメリカ人(日本人以外)だったのも、凄いですよね。


子供達の演奏

日本を出る数日前にジュニアによる琴演奏会があったので、行って来ました。
邦楽離れを目の当たりに見た感じ&演奏自体もちょっと…で、なんか寂しい気分でいたのですが、ある15人程のグループが始まった
とたん目が覚めました。
子供の年齢は小学校低学年から高学年でしょうか、17絃は大学生。
曲が始まると同時にものすごい迫力。そして音が輝いているんです。
私も曲をよく知っていて、子供にとって決して簡単ではないとわかっていたので、もう目が釘付け!
みんな手ぱくではなくちゃんと弾いているし。


                うちの子供達です

前列に座っていた2年生くらいの男子は、もう顔が見えないくらい前のめって、身体全体で楽しんで弾いている。
浮き上がりそうな感じ?演奏が終わったら会場から歓声が。
子供の全く飾り気のないあの熱心さが観客の心を動かすんだなって久々に感動したひとときでした。
で、自分は一体どう映っているんだろうと、気分は暗闇へと.....。



            幼稚園のお友達と

いつか巣だってしまうのかと思うと、母としては微妙

とにかくまだ止まれない、止まっていてはいけない。
前を向いてただ進むべし。


その53へ


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