数年前のインドネシアでの津波、中国の地震などの映像もオンタイムでテレビで見てはいました
が、やはり自国ではないということもあって、たぶんただぼーっと見ていただけ。
うちでは24時間日本語放送が観られるサービスを頼んでいるので、今回ほぼリアルタイムで余震
や津波の映像を見ていました。
ニュース等の途中で入る、地震緊急速報が出た時に鳴るピッピっていう音がなぜか異様に恐ろし
かったです。
いままで津波に関して何の知識も持っていませんでしたから、今回あちこちで起きた映像を見て
本当に凍り付きました。
中でも一般の方が撮っていたビデオで、目で見てわかるくらいすぐそこまで津波が来ていて、低
地の方にいるお年寄りに早く逃げて!っ言っている声が入っていたものなどは、本当に手に汗握
りました。
丁度東京に出張に行っていた生徒さんがこちらに戻って来て、自社の事務所の写真を見せてくだ
さったのですが、ああ引っ越しですかって??
事務所の棚の殆どが横倒し。幸い怪我人は出なかったとのこと。まずは無事でなによりでしたと。
しかし、あんな大きな書類入れが全部倒れるなんて… 誰に聞いても今回の様な大きな地震は初
めてだって。
義理の妹が茨城に住んでおり、現在4歳の双子を抱えているので、どうしているかと連絡をしてみ
たところ、ミルク、おむつ、ガソリンが手にはいらないので、千葉の旦那さんの実家に避難する
と言ってはいましたが、ガソリンが足りず車での移動は無理と判断。とにかく行けるところまで
行って、車は乗り捨て。
とにかく着の身、着のままだったそうです。まさにニュースで聞いたそのまま!!
宇都宮の主人の両親の辺りも結構大きな地震が続き、近所の学校の体育館の屋根が落ちて子供さ
んが亡なったり、多数の怪我人が出て、自分の家もかわらが落ちたりして大変だったそうですが、
仕事優先で義理の父は治療に当ったそうです。
さてニューヨークでは、遠くにいてもなにか出来ることはないかと多くの人が、日本の為に色々
な企画をしてくれました。本当〜〜〜に沢山!のチャリティーが開催されました。
いまはもう7月末ですが、それでもまだ結構日本援助の為のイベントが行われているみたいです。
震災直後は私もいくつかのイベントに参加しました。
次から次へと参加依頼が入り(何年も音信のなかった人から久しぶりに連絡がきたかと思えば、
またボランティアの依頼?....正直こんなときばっかり、と思わなかった訳でもない)。
中には開始時刻が夜9時、おまけにマンハッタンからめっちゃ遠い場所だったりで。まさか全部の
依頼にお答えできる訳もなく。私にも自分の生活がありますから。
あまりのイベントの多さに、最後にはチャリティーと称して、もう自分達の発表の場となりつつ
あるよね〜〜とも言い出す人もいる始末。
今までに一度もイベントなど計画したことなどない方達も、こぞってなにかしようとがんばって
いらっしゃるのですが、残念ながらノウハウはゼロ。
他の演奏と日が重なっていて伺おうことができなかった日があって、男の生徒さん2人に代わりに
行ってもらったのですが、後から話を聞けば、大きなコンサート(400席)会場になんとお客さん
6人。内訳は身内が2人(奥さんと娘さん)あとの4人は老人で演奏中ずーっと寝ていたそうな。
他の人といえば食べ物の所に群がっていたそうで。
当日発起人は挨拶にも来なかったらしい。もし私が行っていたら、会場に火をつけるか、会場ご
と持ち上げてヒックリ返してきただろうと彼らは笑う。
流石、付き合いが長くなると生徒も私の性格をよく知り尽くしている。
そうね …たぶんしたかも?
イベントの規模によっては消防、警察からの許可が必要だったりするようなのですが、全くそれ
を知らずに当日になってから大もめとか。
何か日本の為にやりたいという気持ちはわかりますが、多くの場合、最後になって振り回される
のは私たち出演者です。みんなで自費でレンタカー代を割って出かけて行って、本番前に問題続
出。気分悪いっていったらこの上ない。最後には流石にきつくなってきました。
ですが、このように様々な国の沢山の方が、日本のことをご心配くださり、惜しみない協力をい
ただけたことは心から感謝だと思います。
日本がこのような状態であった為に、4月、5月に予定されていた各地での桜祭りの開催がとて
も躊躇されていたようですが、サブタイトルが変更され“東日本大震災支援“となり、義援金集
めのイベントになりました。
私達が参加した一番大きなものとしては、Japan Societyでのチャリティーです。朝から夜まで様
々なジャンルの音楽コンサートが行われました。夜の部では、坂本龍一さんも演奏しました。
当日は朝11時から夜10時まで、とにかく分刻みのスケジュールだと聞かされていました。
私のところからは琴、三味線、尺八25名で参加の意思表示。
だいぶ話が進んでから、そんなに大勢舞台に乗らないかもしれないので演奏者の数を減らせと言
われて、は〜〜ぁ???冗談じゃない。
もう1ヶ月も前からリハーサルを始めているのに今更何を言うのよって。
主人に舞台の配置図を書いてもらい、楽器がちゃんと並ぶことということを図面で提示して相手
に納得してもらう。内心ほっと。
公演当日は比較的暖かく、お天気にも恵まれ朝からお客さんの入りも好調。
Japan society近くの国連関係の幼稚園でも同じ日にチャリティーコンサートがあり、一人の生徒
さんがそこで琴の演奏を頼まれたので、だったらリハを兼ねさせてもらって全員でっていうこと
になり、狭い〜〜ところで25人の演奏。
結構いい感じでぐつぐつ。でも文句は言いっこなし。
その幼稚園から2ブロックのところにJapan societyがあるので、終了後すぐに移動。
ぞろぞろみんなで楽器持って歩く。国連が目の前なので警備も厳しく、当然警官に呼び止められ
て説明。絶対になにか言われると予期していたので、英語圏の男子が対応に当たる。警官がご苦
労さまと言ってくれたらしい。ほぉ〜珍しい、警察官もみな嫌な奴ばかりではないみたい。
みんなでだらだら移動。ご主人軍団大活躍!!ありがとう
会場の前まで行ったら、すでに外に人が溢れていた。おまけに食べ物の出店が並んでいたので、
そこにも人が群がっている。 クリームパン、カレーパン、焼き鳥、たこやき…私達にとっては凄
く魅力的な食べ物ばっかり!
なんでもいいから食べたいわ〜って、匂いだけかいで我慢。
横でいいにおいを嗅ぎながら出番待つ。なんか犬みたい。
予定の時間より早く到着してしまい、大勢すぎて楽屋も狭く行くところがないので、 悪いけど外
で待ってくれと言われて…。
朝からのイベントが押していて、なかなか物事が動かない。
外で1時間弱待ってやっと会場へ。ちょっと〜分刻みじゃなかったんかい???
外で準備。うるさくって声も届かないからみんなで顔寄せて打ち合わせ。
やっと中に入れて舞台へ直行。
音響システムやらなんやらで、舞台はかなり狭くはなっていましたが、ぜんぜん余裕の設置。
会場は満席で、ロビーにはスクリーンが準備され、入れなかった人達で溢れ帰っていました。
25名、気合いの入った演奏で良かったと思います。
みな参加してよかったと言ってくれたのがなにより。
ここでは誰も手伝ってくれない。なんでも自分達でやるが基本。
その日だけで集まった金額は300万円(約3万ドル)と聞きました。
この寄付金がお決まりの消息不明にならず、海外のみなさまからの気持ちとして被災者の方々へ
何かの形でお役に立てると良いのですが….一抹の不安は消えません。
いまの日本政府はどうなっているか全く理解できない。政治家達は、自分たちを一度外から冷静
に見てみるとよいと思う。
みんな本当によくがんばりましたぜ!
その後も、いくつものチャリティーと桜祭りに参加しました。
マンハッタンを背に桜祭りに参加。コンクリートの上で座って出番待つ三味線チーム、足が完全に死んだらしい。
お気の毒に…
ああ貯金がほしい
貯金といってもお金のこと(だけ)でなない。もちお金もほしい。
ここ数年凄く思うこと。
音大時代、そして内弟子時代。
好きなだけ琴が弾けたうちに、もっともっともっともっと練習し、何でも勉強しておけば良かっ
たって。それは普通の勉強においても同じ(かなり苦笑&後悔)
時間がたっぷりあるときに、もっともっと練習しておいて、その技術を貯めておくべきだったと、
手遅れの後悔。
すべてにおいて年と共にごまかしがきかなくなってきている。
が、が、生徒の手前、でき、ません…とも言えず!
手術後本当に動きが鈍く、すぐに腱鞘炎になるこの右手。ああこんな筈ではなかった。
いま許された時間の中でできる事を、出来るだけやるということにしています。
ハドソンリバーに浮かぶ船の中での演奏会。
窓の外がマンハッタンの夜景でそれが有名なホール。 もちすごい揺れる。
私演奏中ずーっと船酔いでふらふら!
この9月からコロンビア大学で邦楽(琴と尺八)のクラスが始まります。
週に1度の技術中心の授業です。コロンビア大学には既に数年前から雅楽のクラスが設けられてお
り(ニューヨーク天理教の方々の指導の元)年度末には大きな演奏会も行っており、年に1度宮田
まゆみさんや、雅楽の演奏者が日本から指導&演奏にいらしています。
雅楽で楽琴が使われており、琴の存在を知っている人は既にいるので、初年度ではありますが、
沢山学生さんが来てくれたら嬉しいと思います。
92年にウエスリアン大学音楽部で教える為に渡米した当時の記憶が甦ります。
あれから20年。
なんか昨日のことのようにも思えます!(流石に昨日ってことはないか)
こうして20年経って、また違う大学で若い人達と触れ合え?一緒に演奏できるって、私にとって
は素晴らしい機会です。
ニューヨークの新宿歌舞伎町
15年住んでいるマンハッタンですが、用事がないとあまり行かない場所とかもあるので、実は知
らない事がいっぱい。
先日、生徒さんに北京ダックが美味しいレストランにご招待いただいて家族と一緒に行った帰り、
お店の外で立ち話をしていると、近くで黒服の日本人のお兄さん達がイヤーフォーンをして、な
んかちょっと違う雰囲気を醸し出してた。
その辺りに詳しい彼女の話では、レストランの隣のビルの2階に日本のクラブがあり(他にも沢山
あるのですが)道で客引のお兄さんが日本人に声をかけているんだそうです。なんかよくテレビ
で見た事がありそうな。
「3名様ご案内しておりますう〜〜」とか言っているのが聞こえてきました。
うちの主人もウロウロしていたら「こんばんわ〜、何かお探しですか?」と声を掛けられて「走
り回っている息子を探しています」と答えたら見事に無視されたって。30分くらい外にいました
が、その間にぞくぞくとやって来るくる日本人サラリーマン(たぶん)日本のクラブを求めて!
ちょっと凄いものを見た。
太鼓、琴、習字、日本舞踊のコラボ。こんな公演が盛んに行われてます。
明日から休暇で3週間日本に行きます。(この原稿を書き始めて6ヶ月、やっと終わった)
息子の幼稚園が8月はお休みなので、その間は日本に帰るしかなくって。
私は日本で整形外科、婦人科、歯医者、滞在中ずーっと医者通いの予定。
全くなんてことでしょう!
帰国の為、事前の私の予定を特に密に組んでいたところに、またもや今年も待ってましたとばか
りに息子が42度の熱。急性白血病の疑いありと診断されて、夫婦で腰が抜けた。救急ですぐに病
院に入り、その日から私の予定は音を立てて崩れる。病名を聞いて流石に心配になり、今回ばか
りは息子を家に連れて帰れないのかも?と一瞬思ったりもしたが、最後にウイルス感染症との診
断で家に戻れた。
産まれた時からの記憶が頭を巡った瞬間。自分の腕の中にいるうちに可愛がっておかないとなあ。
子供って急に具合が悪くなり、嘘のように元気になる。
君、病院にさっきまで入っていたよね?って旦那。
終わった事は振り返らない。家に帰って予定仕切り直し。休んだ分、どんどん予定が後押しにな
って、イライラ度100%
日本のみなさまには申し訳ないですが、クーラー病で体がだるくて仕方が無いし、なかなか思う
ようにいかんな〜本当に大変。
では日本に帰ります。
滞在中は毎日さしみ、桃、お寿司食べるのだ! |